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社長コラム 2024年6月号「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」

2024年06月号

この大事な期末、締めの6月に不覚にもコロナに感染してしまいました。

これまでも際どい状況は何度かあったのですが、何とか切り抜けて

これまで一度も感染していなかったのに、よりによってこの大事な時期に感染して

戦線離脱を余儀なくされました。会社や家族にも迷惑をかけてしまい申し訳なかったです。

どこで感染したかはこの際置いておいて、社内の申し合わせにより

コロナ感染確定日から5日間、自宅待機。我が家からすでに嫁いだ娘が使っていた部屋に自主隔離して

4日半過ごしました。幸い症状は軽症で、最後まで発熱することなく

喉の痛みと咳が出る程度でした。コロナ禍になって4年半、これまでもたくさんの方々から

話を聞きましたが、いざ自分がその状況に直面すると

いかにこの自主隔離が大変かということを今更ながら痛感しました。

もうすっかり話題から消えてしまいましたが、当初はコロナに感染すると

病院やホテルに2週間隔離されていたのです。パソコンやスマホ、テレビがあって

外部とのコミュニケーションは普通に取れるのですが、何にもしないで過ごすことが

いかに苦痛であるか今回身に染みました。

もちろん重症化しなかったことは喜ばなければいけないのですが・・

コロナが5類になり、世の中は過度な対応はしなくなりましたが、

それでも我が国はまだまだ普通の風邪ではないのです。

当たり前のことなのですが、普通の風邪もインフルエンザもコロナも、

感染予防には規則正しい生活、適度な運動、美味しく食事を摂る、

笑顔で過ごして免疫力を上げる・・これに尽きるのです。

 

私がコロナに感染した時期がたまたま「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」の前週だったのですが、

何とか穴をあけずに社員の皆さんと一緒にこの「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」に

参加できました。そもそもこの「・・大感謝祭」、ネーミングはいったい誰が付けたのか?

確かに今の北都鉄工があるのは、これまでもそして現在も

大切なお客さまのために頑張ってくれている社員みんなのお陰なのです。

社長である私や会社が社員の皆さんに感謝するのは当たり前のことなのですが

「・・大感謝祭」と銘打ってしまうと、そんじょそこらでは大感謝祭にならないのです。

今回の開催の趣旨は大きく4つ!

① 元気に90周年を迎えられたことに感謝して全社員でお祝いをする。

② 長年にわたり北都鉄工で勤務され今日まで頑張ってこられた社員の皆さんへ

永年勤続表彰(40年以上・30年以上・20年以上)を授与する。

③ この一年の間に北都鉄工に新たに加わってくれた仲間の歓迎会。

④ 67年の長きにわたり北都鉄工の取締役を務めてきた私の父である

2代目社長 小池田康成が6月21日付で取締役を退任し、

相談役として今後も会社を見守っていくことになり、そのことへの感謝と慰労の気持ちを

全社員で表す。(・・+ 大抽選会)

 

とにかく楽しい3時間でした。この3時間の受け止めかたは社員ひとりひとり違うと思いますが、

その模様は私の言葉よりこれらの写真が一番だと思うので是非ご覧ください。

 

 

 

 

壇上から社員のみんなのたくさんの笑顔を見て、この130人の社員とこれまで頑張って

礎を築いてくれた先人たちのお陰で、今の北都鉄工があるのだということを改めて実感しました。

誰ひとり欠けてはいけないのです。

そしてこれからも感謝の気持ちを忘れず、大事なお客さまに喜んでいただける

いい仕事をしていくのです。何度も言いますが「不易流行」です。

次の10年に向けてこれからも大事なお客さまのために、

大切な社員と一緒に進化し続ける北都鉄工を目指していきます。

 

1月1日に能登半島地震が発生して大変な年明けになりましたが、

半年が経ち、我が社も決算月を迎え67期もたくさんの方々のお陰で

なんとか締めることができそうです。7月から新しい期になり、

まずは新社屋への移行という大仕事が待っています。

「常に明るく前向きに!」を忘れずに68期もみんなで頑張ります。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

社長コラム 2024年5月号「こどもの日」

2024年05月号

5月5日は「こどもの日」「端午の節句」であります。

今更申し上げるまでもなく、男の子の健やかな成長と健康を願ってお祝いをする日です。

「端午」とは「最初の午(うま)の日」という意味で、

「節句」とは季節の変わり目のこと。午(うま)は五(ご)とも読めることから

5月5日が「端午の節句」として奈良時代以降に定着したそうです。

その後、江戸時代に入り、季節の変わり目に病気や災いを払う

「菖蒲(しょうぶ)」を飾るしきたりが、

武道や武勇を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じ読みから

次第に男の子のための行事になった・・そうです。冒頭からむずかしい話ですいません。

要は・・私が物心ついたときには既に、5月5日「こどもの日」は鯉のぼりを揚げて、

かしわ餅を食べる祝日だったのです。

近年、5月5日はゴールデンウイーク最終日で「こどもの日」というより

Uターンラッシュとかゴールデンウイーク明けの「5月病」とかの話題が先行して、

「こどもの日」の行事そのものの話題が少なくなったような気がします。

 

金沢市内でも鯉のぼりが揚がっている光景をほとんど見なくなりました。

そんな中で、我が社を含め公私ともに大変お世話なっている

米沢電気工事さんの本社前に見事な鯉のぼりが揚がっておりました。

お聞きすると、米沢 寛 会長のご長男が生まれた時に購入して

ご自宅の前に揚げていたそうですが、まわりにビルが増えご迷惑がかかるので、

会社の前で揚げることにしたそうです。きちんとした国家観を持ち、

君が代・日の丸や日本の伝統文化を大事にされている米沢 寛 会長らしい対応には

いつもながら脱帽であります。

青空に気持ちよく泳ぐ鯉のぼりはなかなか新鮮でいい感じでした。

今年見逃した方は是非、来年ご覧になってはいかがでしょうか。

 

改めて調べてみると、全国各地で鯉のぼり祭りやイベントが開催させていて

壮観な光景を見ることができるようです。

石川県内でも珠洲市の大谷川鯉のぼり流しや、

金沢の浅野川の中に流す鯉流しが有名だそうです。

今年は震災だったのでなかなか観ることができなかったのですが、

来年は是非、私も観に行きたいと思っています。

 

5月5日といえば、ちょうど一年前の5月5日14時42分に

珠洲市で震度6強の地震が発生していたのです。

今年元旦の能登半島地震でそのことを忘れがちなのですが、

能登ではこの一年の間に大きな地震が二度発生して、甚大な被害に見舞われているのです。

能登半島地震発生から4か月が経ち、金沢以南にはたくさんの観光客が訪れるようになり

少しずつ日常を取り戻してきましたが、

能登にはまだまだ不自由な生活を強いられている方々がたくさんおいでになるのです。

だんだん地震の報道も減ってきたような気もするのですが、

能登の復興はまだ始まっていないのです。

今後、復旧から復興へフェーズが変わっていきますが、

我々はこれからも能登の支援を忘れず日々の仕事や経済活動にあたらなければいかないのです。

がんばろう能登!!

 

5月は一年のうちで一番天気が安定していて過ごしやすい月のはずなのですが、

今年はゴールデンウイーク明けから気温が上がったり下がったりで、

体調を崩していた人が案外いたようです。私も何となくすっきりしない日が続いていました。

そんな中、高田組さんをはじめたくさんの方々のお陰で、

新社屋建設工事は7月末竣工に向けてピッチが上がってきました。

内装工事も進み、ガラスもほぼ入り、車寄せの大屋根ブロックの社内溶接も終わり、

7月初めには防音シートも外れて全容が現れてくる感じです。

壁や床などの内装色も決め、机・椅子・棚などの選定も終わり、

いよいよ新しい社屋での業務開始が視野に入ってきました。

 

これからが本番です!この新社屋でこれからどんな働き方をするのか?

すでに運用を始めているグループウエア(HCS)の活用はもちろんのこと

ペーパーレス化への取り組み、そしてフリーアドレス導入へ向けたゾーニング・・。

管理本部からは新社屋で達成したい目標

① 業務効率化

② 部門間連携強化 

③ コミュニケーション促進

④ 5S強化

⑤ 快適な空間

⑥ 来てもらえる会社に

が示され具体的に動き出しています。

次の時代に向けてこれからどんどん変わっていきます。

社長の私でさえもこの流れの早さに戸惑うところもあるわけで、

社員の皆さんの中にも戸惑いや違和感がある人もいるのかもしれません。

なぜ今やるのか?何のためにやるのか?そのことをしっかり落とし込んで

取り組まなければなりません。世の中も加速度的に変わっていきます。

5年先を見据えると今のままでもモノづくりはできますが、

おそらく時代に取り残されていくのです。

しいては大切なお客さまに喜んでいただける仕事ができなくなるのです。

新しいことに挑戦するには勇気がいります。そんな中でいかに北都らしく変わっていくか、

我々が大切にしてきたことは絶対に忘れてはいけません。

創業90年、今回の新社屋建設が北都始まって以来の転換期なのです。

 

「不易流行」・・理念やミッションなど、

その会社の変えてはいけない「不易」の部分は守り続ける。

その一方で時代とともに変わっていく「流行」の部分は慣例や前例に縛られることなく

勇気をもって変えていかなければいけない。このことに尽きるのです。

 

来月は我が社の期末です。

今、いただいている大事な仕事をしっかり納めて今期を締めたいと思います。

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2024年4月号「エイプリルフール」

2024年04月号

「エープリルフール」という言葉を聞いて、どれだけの人がピン!とくるのだろうか?

今更なのですが「エープリルフール」の日本語訳は「四月馬鹿」。

毎年4月1日は嘘をついてもよいという日!起源の諸説はいろいろあるそうです。

イングランド王政復古の記念祭「オークアップルデー」に由来する説、

3世紀のインド春祭り説、古代ペルシャのお祭り「シスダベタール」が原型説、

1564年のフランス改暦説・・

日本には大正時代に欧米から伝わった?、その昔に中国から伝わった?、

さらに「嘘は午前中だけ、午後はネタばらし」というルールもあったそうです。

とにかくこの「エープリルフール」はある程度のいたずらや嘘は許されるという

春の到来を祝う由緒正しきお祭りだったのです。

私が若い頃は、どんな嘘ならおもしろくてみんなに笑ってもらえるのかを

真剣に考えていたのですが、最近はめっきりそんな話はなくなりました。

今の若い人たちは「エープリルフール」という言葉すら知らないのかもしれません。

笑って許せる洒落た嘘ならおもしろいのですが、

それが段々エスカレートして人騒がせになり、さらに最近はフェイクニュースが

世の中を駆け巡りホントに寂しい限りです。いつから日本はこんなことになったのか?

もう少し、余裕というか、遊び心がある寛容な世の中になってもいいのではないかと

思うのです。素敵な嘘?笑える嘘?・・改めて考えると実はむずかしいのです。

 

今年も新入社員5人を迎えました。

4月1日に部長職以上の役職者出席のもと入社式が執り行われました。

その様子はインスタや社内報に載っていますが、

現在の社屋での入社式はこれが最後です。

私も毎年、新入社員の前でご挨拶をさせてもらっているのですが、

ここで話すのもこれが最後かと思うと一抹の淋しさを感じました。

来年からはいよいよ新社屋での入社式です。今年の新入社員は例年にも増して

個性的な顔ぶれが揃ったようです。入社式での挨拶や

社内研修最終日の他己紹介?の発表の様子を見ていても、それぞれが特徴を出して

自分を表現している姿はなかなか頼もしいものがありました。

そして何より新入社員同士の仲がいい!これからたくさんの人と出会い、

たくさんの仕事にも出会います。その出会いをチャンスと捉え、

最大限に生かしてたくましく成長していってほしいのです。

これから待ち受けるたくさんの苦労を乗り越え、素晴らしい人生を歩んでくれることを

切に願っています。一年後の姿が楽しみです。頑張れ!

 

新年度に入り新社屋建設工事もギアが1段あがったようです。

まだ外側の防音シートは張られたままですが内装工事も着々と進み、

ガラスも一部張られ、外装の色も決めました。

皆さんが見えないところで7月末竣工に向けてまっしぐらです。

今後、机・椅子や事務用品をはじめ細かいものを発注し、内装の色を決めて、

防音シートが外され、正面車寄せの大屋根が登場して、

いよいよ皆さんの前に全容が現れます。ホントに楽しみです。

そしてこれからが新社屋建設の本題です。何度も言いますが、

この新社屋で次の世代に向けてどんな会社を目指すのか、

これからの時代に合わせた仕事のやり方をどう進めていくのか。

大切なお客さまは我々の進化を期待しているのです。

今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」。

私を含めて一人一人がいかに変われるかがこれからの北都の命運を握っているのです。

・・長くなるのでこの続きは来月書きます。

 

3月末にタリーズコーヒージャパンから

「2023年度『店舗別ランキング』上位のお客さまに特典をご用意しております。」

というメールが届きました。

特典内容は上位30名の方々にタリーズデジタルカードを送ります!というものでした。

一年間頑張ってそのお店に通い続けた人へのご褒美です。

確認したら私はタリーズ金沢入江店で10位でした。

4~30位は「グリーンカード」(・・実物はまだ届いていません)。

この一年間もほぼ例外なく週末はタリーズ金沢入江店に通い

ロイヤルミルクティを飲み続け、お店に支払ったお金は単純計算で50,000円以上。

この10位をどう評価するかは別にして、私の上に9人いることだけは確かなので

今年度もそのことをどこかで意識しながら、せっせとタリーズ金沢入江店へ通って

美味しいロイヤルミルクティを飲み続けることにします。

そもそも1位の人はタリーズ金沢入江店にいったいいくら支払っているのだろうか?

結局はまんまとタリーズの戦略に乗せられているのです。

 

個人的にこの近辺で一番きれいな桜は河北潟の通称「母恋街道の桜」だと思っています。

あの桜のトンネルは絶景です。ところが今年は能登半島地震で通行止めが続き今も通れません。

残念やなぁと思っておりましたら、たまたま偶然とってもきれいな桜を見つけました。

石川県庁の一般駐車場の間にある桜です。

もう散り始めていますが来年は是非、皆さんご覧ください。これはお勧めです!

来月は一年の中で一番天気が安定しているいい時期です。

GWが明けたらトップギアを入れて頑張って行きましょう!

 

結局、今月も長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2024年3月号「北陸新幹線敦賀開業」

2024年03月号

我が社の創業の地 金沢から現在の白山市に移転したのが39年前。

その当時、我が社の後ろを北陸新幹線が走ることを誰が想像しただろうか。現在、社屋や工場敷地内から北陸新幹線が走る姿を毎日見ることができます。

なかなか新鮮でいい眺めです。

 

3月16日に北陸新幹線が敦賀まで開業しました。

北陸新幹線が東京から金沢まで開業したのが2015年、あれから9年が経ち石川県内を通り抜けとうとう敦賀まで伸びました。

開業当日は敦賀や福井だけでなく、小松や加賀温泉も祝賀ムードに包まれ大変盛り上がっていました。

 

この区間の開業までには工事の遅延や能登半島地震の発生などたくさんの苦難があり、今回の開業は関係者にとっては感無量だったと思います。

これからこの敦賀開業がもたらす経済効果は計り知れないものがあります。

ただ・・確かに地元への経済効果は計り知れないのですが、利用する者の立場からすると関西や名古屋方面への利便性や時間短縮効果には

いささか疑問符がつくような気がしています。

もちろん、この北陸新幹線の最終到達地は新大阪なので今の時点でどうこう言うのは時期尚早なのですが。

 

 

物心がついたころから大阪・京都は「雷鳥」、名古屋は「しらさぎ」に乗って乗り換えなしで往復していました。

時代とともに大阪・京都は「雷鳥」→「スーパー雷鳥」→「サンダーバード」、

名古屋は途中、米原での東海道新幹線乗り継ぎ専用特急「加越」も走ったという変遷を辿りましたが、

もう金沢駅で「サンダーバード」や「しらさぎ」に乗れないのかと思うといささか淋しいものがあります。

 

まあ、こんな感傷に浸っていても仕方ないので、とにかく敦賀で乗り換えて関西や名古屋へ行ってみようと思います。

差し当たり来月、大阪出張があるので乗ってみてまたコメントします。

実際、敦賀での乗り換えにどのくらい時間がかかるのか?

行きはいいのですが帰りはもう金沢駅止まりではないので寝過ごさないかいささか心配です。

 

今後、新大阪までの延伸については地下を通過する京都が大反対しているので、

計画を白紙に戻して敦賀から米原までつないで東海道新幹線に合流させたらどうかと思っているのは私だけでしょうか。

敦賀⇔米原は45㎞です。これなら私が生きている間に北陸新幹線で新大阪まで行けるような気がします。今後の展開に期待しています。

 

 

 

 

能登半島地震から3か月近くが経ちました。

まだたくさんの方々が避難生活をおくられ不自由な毎日を余儀なくされていますが、

能登は日を追うごとに少しずつ復旧しておりこれからさらに復旧の速度は上がっていくものと思われます。

そして今後は能登をどうするのか!どうあるべきか!

次の世代の人たちが、声をあげたくさんの知恵を出して復興に向けて動き出してほしいと思います。

 

これからが本当の意味での能登復興へのスタートです。

まだまだ先は長いのですがみんなで力を合わせて必ず能登を復活させるのです。

 

 

 

3月23日に金沢の金石港で1日限定の「出張輪島朝市in金石」が開催されました。

当日は輪島朝市組合から29店が出店し輪島朝市のシンボル、オレンジ色のテントがずらりと並び、

鮮魚や干物・刺身といった海産物や輪島塗の商品や雑貨などがたくさん売られていました。

 

能登半島地震で輪島朝市通りは壊滅状態になり、輪島朝市のお店の皆さんはそれぞれ避難生活を余儀なくされ仕事のめどがまったく立たなくなっていました。

そんな中、港つながりで地元金石やたくさんの皆さんのご尽力のお陰で1日限定ではあるものの朝市が開けたことは本当によかったと思います。

 

当日は朝からあいにくの雨模様でしたが朝市が閉店するお昼までの間に13,000人(・・大本営発表?)の人があの狭い金石の町に押し寄せたそうです。

実は私も仕事の合間に顔を出したのですが金石の町では見たことのないくらいの人で溢れていて到底、

朝市のテントまで辿り着ける状況ではありませんでした。

この模様は全国ニュースでも取り上げられましたが、改めて人の優しさや温かい気持ちを感じる光景でした。

今後はこの「出張輪島朝市」をいろいろなところで開催していただき、その積み重ねが能登復興に少しでも繋がればいいなぁと思います。

お世話いただいた地元金石の皆さんには改めて感謝と敬意を表します。

 

輪島朝市のおばちゃんのあの笑顔と涙がとても印象的でした。

 

 

 

今年の冬はエルニーニョ現象の影響で当初から暖冬!暖冬!の大合唱で、

ホントかなぁと思いながら毎日過ごしていました。

実際、この冬に自宅前で雪掻きをしたのは2回だけ!それもだーっと1時間程度。

会社からの自宅待機の連絡を一度も流すこともなく3月になりました。

 

このまま暖かい春がくるのだろうと思っていました・・が!3月中旬になって気温が急降下、

春分の日に雪が舞うというおおかた春とは思えない光景でした。

まあそんなこんなしているうちに今年の冬も終わり、年度末が近付いてきました。

能登半島地震で多少の被害はあったもののお陰さまで予定していた仕事はすべて無事に竣工して

なんとか新年度を迎えることができそうです。

これも社員の皆さんやすべての関係者の方々のお陰と感謝しています。

 

 

 

4月には新たに新入社員5名を迎えます。

そして7月末にはいよいよ新社屋が完成します。

今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」です。

 

年明けから能登半島地震で一旦ブレーキがかかりましたが、

4月からギアを切り替え次の世代に向けて北都はどうあるべきか、

このタイミングで何をしなければいけないのかをみんなで考えていきたいと思います。

変わるときには当然、抵抗もあります。

そこを乗り越え固定観念を取っ払って

さらに明るくおもしろい会社を目指して前に進んでいきます。

新年度からも宜しくお願いします。

 

 

 

・・・と、ここまで書いてそろそろ管理本部にこの原稿を提出しようかと思ったところに

今年度、最後の珍客が登場。「ビーバー君」です!

何で「ビーバー君」が来社したのかは我が社のインスタをご覧ください。

 

とにかく、新年度からも手を緩めることなくさらにいい仕事をしていきます。

長くなりましたが今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2024年2月号「再始動の2月」

2024年02月号

我が社はお陰さまで本年2月11日に創業90年を迎えることができました。

これもひと重にこれまでお支えいただいた大切なお客さま、

そして大事な社員やそのご家族をはじめ、我が社に関わるすべて方々のお陰と

心より感謝を申し上げます。私が会社に戻って36年が経過し、

社長を任されてから20年が経ちました。その間、ホントにいろいろありましたが

振り返ってみるとあっという間だったような気がします。

そう考えると我が社にとって、この90年は途方もない日々の積み重ねなのですが

気が付いたら90年が経っていたのかもしれません。

計算が間違っていなければ32,873日!この一日一日に意味があり、

幾多の困難を乗り越え、そして出会いや別れがあり、たくさんのお客さまや社員に恵まれ

今日の北都があるのです。何度も言いますが、感謝の言葉しか見つかりません。

今の北都があるのも先人達の血のにじむような努力があったからであり、

私を含め、今いる社員の皆さんはそのことを絶対に忘れてはいけないのです。

 

昨年より創業90周年に向けて、社内外での記念行事を計画し、準備を進めてきました。

これは単に90周年を迎えるお祝いではなく、この90周年を機に

「次世代に向けてのスタート」を切る大事なタイミングと位置づけていました。

これまで積み重ねてきたものをいかに次の世代に伝えていくか

そしてその時代時代にあった北都をこれからどうやって築いていくかを

社員の皆さんと一緒に考え、前へ進めていくいい機会と考えていました。

そして能登半島地震です。1月のコラムにも書かせていただいた通り、

我が社は幸い大きな被害もなく年明けから通常業務を行っていますが、

被災した社員もおり、さらに大切なお客さまである石川県さんや北陸電力さんが

大変な状況になってしまいました。そのため1月はその対応に追われ、

県内の甚大な被害状況を鑑み、記念行事は一旦すべて白紙にすることを決めました。

私自身も記念行事を予定通り進めるマインドには到底なれませんでした。

 

当初、能登半島の被害状況や避難されている方々の様子を見ていると

復旧するには相当な時間を要すると思っていましたが、

震災当日から自衛隊・消防・警察・医療従事者・石川県をはじめとする

各自治体関係者・電力や建設関係者・そしてボランティア活動の皆さん・・

あげればきりがないのですが、本当にたくさんの方々のご尽力のお陰で

状況は少しずつ改善され、復旧もどんどん加速しています。

震災当初に比べるとまわりの状況は、少し落ち着いてきた感じがしています。

ただ、復興への道のりは長く、被災された方々が元の生活に戻るには

まだまだ相当な時間がかかると思います。

 

1月はまだ余震が続き、新年互礼会や新年総会が軒並み中止になり

観光客も皆無で石川県内の経済はコロナ禍以上に冷え込んでしまいました。

2月に入り経済界からは「支援する側が元気に経済をまわさないと

被災地を支援することすらできなくなる。」という声があがり始め、

徐々にではありますが、いろんなことが動き始めました。

そのタイミングで一旦取りやめにしていた我が社の創業90周年の記念行事も

少し形を変えながら進めることにしました。

 

創業記念日2日前の2月9日(大安)に、今回制作した「北都鉄工 90年誌」と

会社からのささやかな感謝の品、そしてお祝いにたくさんいただいたリポビタンD 1本を

全社員に配りました。今回は私が各部署をまわり、社員ひとりひとりにお礼を言いながら

手渡しさせてもらいました。社員の皆さんもそれぞれ思いはあると思いますが、

私は北都の社長をやらせてもらってホントによかったなぁと思う瞬間でした。

たくさんの方々のお支えのお陰です。さらにというか今回まったくの思い付きで、

私の友人の「フルーツむらはた」の村端社長にお願いして

大好きなフルーツパフェ150個を会社に届けてもらいました。

当日、社内にいた人 全員に食べていただきました。

その様子はリアルタイムでインスタにもあがっていたようですが、

例外なく満面の笑みで完食だったそうです。

2月11日の感謝の集いが延期になり、結果的に社員の皆さんへ

感謝の気持ちを伝えるのが一番先になったことはホントによかったと思っています。

やっぱり社員あっての北都なのです。

 

今後、社員の皆さんとの90周年お祝いの会を6月に、

そして一旦取りやめにしていた「北都鉄工創業90周年 感謝の集い」を

10月に開催することを決めました。

改めて開催する感謝の集いは単に感謝の気持ちを皆さんにお伝えするだけでなく、

能登復興への応援の狼煙をあげ、震災にも負けない元気な北都の姿を

皆さんにお見せする機会にしたいと思っています。

 

1月は予期せぬ能登半島地震で一年のスタートの出鼻をくじかれましたが、

これからは能登復興と経済活動を両立させながら

県民一丸となって石川復活のために頑張らなければいけないのです。

まだまだ苦難は続きますが、2024が必ずいい年になることを信じて

これからが今年の本当のスタートです。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2024年1月号「能登半島地震」

2024年01月号

その時、私は帰省中の次男と一緒に自宅近くのイオンモール白山の1階にいました。

たまたま時間が空いたので食材を買いに行って、1階のスーパーで支払いを済ませ

歩き出した時に、何の前触れもなくいきなりスマホの緊急地震速報がけたたましく鳴りました。

とっさに2人で屈んで目の前にあった柱につかまっていました。

一度目はそれなりに揺れたのですが、まわりは比較的冷静で棚から物が落ちることもなく、

しばらくして収まったので次男と歩きだしたところで再度、

緊急地震速報が鳴ってその場で屈んだら大きな揺れがきて収まるのを待っていました。

館内放送で「この建物は免震構造で全く心配ありません」が何度も流れていましたが

イオンモール白山の1階は混乱することもなく、順番に出口へ人が流れていきました。

(・・あとから聞いたら2階・3階はガンコに揺れたそうです。)

正直、能登がそんな大ごとになっているとは思わず、

トイレを済ませて帰ろうとした頃から、県外の知人や仲間から電話やメールがどんどんきて、

ことの重大さに気づいて冷静さを失っていました。

慌てて自宅へ電話をかけて無事を確認してすぐに帰宅・・

そのあとはなるべく冷静でいようと思っていても全容がまったくわからず、

いろんなことが頭をよぎって自分でも混乱しているのがわかりました。

社員やそのご家族は大丈夫なのか?金沢市内にいたうちの家族は大丈夫か?

会社や製品は大丈夫か?仲間は?そして能登はどうなっているのか?・・

幸い我が家はモノが棚から落ちた程度でしたが、

時間を追うごとに少しずつ被害状況が明らかになり、余震が続く中、

ただ茫然とニュースを見るしかありませんでした。

 

今回の能登半島地震でお亡くなりになられた方々に対し、

心よりご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。

そして一日も早い復旧・復興を願っています。

 

これが2024年のスタートです。

 

被害状況や復旧作業については報道にあるとおりで、

震災当日から自衛隊や消防、警察、医療従事者、建設関係者をはじめ

県内外からホントにたくさんの方々が能登に入られ、

休みなく救援活動や復旧作業にあたっていただいております。

極寒の中、ホントに頭の下がる思いであります。日を追うごとに少しずつ

状況は改善されつつありますが、まだまだ先は見えません。

同じ石川県内におりながら、一日も早い復旧をただただ祈ることしかできないのは

ホントに申し訳ないのですが、そんな中でもう少し冷静になって

これから我々に何ができるのかを考えていきます。

 

我が社の状況については、すでにSNS等でご報告させていただいた通り、

幸い大きな被害もなく1月5日より通常業務をおこなっております。

ただ、能登出身の社員をはじめ、そのご家族やご実家が被災した者もいて

会社としてできる限りの支援をしていきたいと思っています。

 

今年は我が社にとって節目の創業90周年の大事な年であります。

本来、創業日の本年2月11日に「感謝の集い」を開かせていただいて、

ご縁のある方々に直接感謝の気持ちをお伝えする予定でしたが、

今回の震災による被害状況や社会情勢を鑑みて、一旦取りやめとさせていただきました。

それに伴い、社員の皆さんとの創業90周年のお祝い会も一旦取りやめることにしました。

さらに今年はすでにご案内のとおり、新社屋の完成に伴う引っ越しをこの夏に控えております。

毎日毎日、同じ石川県内の被災地の状況を見たり聞いたりしていると

正直、我々だけがこんなお祝い事や新社屋への引っ越しをやっていいのだろうか?

普通に生活していていいのだろうか?と思うことがあります。

反面、なんでもかんでも自粛や中止にして経済活動を止めてしまったら、

いろいろなところに影響が出てきて、違う意味で疲弊し

元気な我々が被災地への支援もできなくなるのではないかと思うこともあります。

それぞれの立ち位置によって考え方、見方が違うので正直日々気持ちが揺れています。

今月はそんな気持ちの中で、どうすることが一番いいのかを毎日考えながら過ごしていました。

「これだ!」という明確な答えはまだ見つかっていませんが、

お亡くなりになられた、敬愛する澁谷工業の澁谷弘利前社長がいつもおっしゃられていた

「苦しいときこそ 常に明るく 前向きで」の言葉を思い出しながら、

これからもひとつひとつ判断していきたいと思います。

 

阪神淡路大震災・東日本大震災・熊本地震・・

当時、未曽有の甚大な被害と多くの犠牲をはらいましたが

今はそれぞれ復興して前に進んでいます。

日本は強い国です。能登も必ず復活します!

今年の我が社の経営スローガンは「みんなで変わる」です。

創業90周年や新社屋建設を機に次の時代に向けて、

そしてこの能登半島地震を経験して北都らしく変わっていかなければなりません。

そんな意味でも今年は大事な年なのです。2月はさらに復旧が進みます。

笑顔を忘れず、希望を持って元気に先頭を切って走っていきますので

今年もどうか宜しくお願いします。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2023年12月号「こだわりの一年」

2023年12月号

先月の休日に何気にNHK BSPをつけたら

「T H E TULIPファイナル福岡公演 TULIP50周年記念ファイナルツアー」

という番組をやっていました。思わずテレビに釘付けになり録画してしまいました。

今年2月のコラムでオフコースのことを書かせていただきましたが、

このチューリップもほぼ同年代!

1968年 結成で、厳密には結成して55年が経過しているはずです。

まあここまでくるとかなりマニアックな話題なので、

ある一定の年代以下の方々にはまったく興味のない話で申し訳ありません。

リーダーは財津和夫、一般的に知られている代表曲は「心の旅」や「サボテンの花」などです。

現在、財津和夫は75歳、メンバーの入れ替えもありましたが

その他のメンバーもほとんどが70歳超え・・。

当然!観客席の平均年齢もライブツアーとしては極めて高いのです。

オフコースもそうでしたが、私の年齢よりはるかに上の方々が頑張って歌い続ける姿には

なにか惹きつけられるものがあり、その楽曲にも感じるものがあります。

番組の最後に「今日がファイナルなのに追加公演が決まりましたぁ!」というので、

慌ててサイトを見たら来年3月31日に金沢歌劇座でツアーが組まれていました。

思わず、ローソンチケットで先行予約を申し込んだら見事に落選!!

やはり金沢にも私以上にマニアックなファンがたくさんいることを改めて実感しました。

時代や世相が変わろうと自分たちの楽曲にこだわり50年以上も歌い続け、

さらにそれをずーっと支え続けるファンがいることはホントに凄いことだと思います。

(・・当然!そのファンの平均年齢も高いのです)

 

今月はこんな出だしなのですが・・

今年一年のコラムを改めて読み返してみると、

結局、何かにこだわっている人にフォーカスしていることに気づきました。

オフコース・タリーズの副店長・能美のドイツパン職人・竹内製作所さんの竹内社長・

全国の虎党・・そして今月のチューリップ・・。

それぞれのこだわりに何か惹きつけられるものがあり、

私自身もこの一年、自分なりにこだわって仕事をしてきた気がします。

 

今年は「次世代に向けてのスタート」のスローガンを意識して、

次につなげる会社づくりをどうすればいいのか・・

会社の方向性、働きかた、会社の運営を考えながら

一大事業である新社屋の建設をスタートさせました。

おかげさまで新社屋建設工事は今のところ順調に進んでおり、

現在全面を防音シートに覆われていますが、この防音シートも来年5月には撤去され

いよいよ全容が見えてきます。そして年明けからは今回の新社屋建設の大きな目的である、

次の世代を見据えた働きかたや会社づくりをどう進めていくかを具体的に考えなければいけません。

すでに進めているペーパレス化、北都方式のフリーアドレス・・

そしてなにより社員のみんなが新社屋で時代にあったいい仕事をする、

そして北都らしい明るい職場を新社屋でどう表現するかだと思っています。

新社屋建設を機にもっともっとたくさんの人たちが集まる

おもしろい会社をみんなでつくるのです。

その為には私を含めこれまでの固定概念を一度取っ払って、『みんなで変わる!』。

そのことが必ず次につながり、新しい北都が見えてきます。

来年も大事なお客さまのため、大切な社員のため、ということにこだわって

この新社屋建設事業をさらに進めていきます。工程はほぼ折り返しです。

7月末の完成が楽しみです。

 

今年もいろいろありました。

その中でも一番インパクトが強かったのはやはり長い間、

闘い続けたコロナがゴールデンウイークあけに5類に引き下げられたことです。

それを機に世の中がさらに動き出し、今まで止まっていたこと

我慢していたことが少しずつ元の形に戻ってきました。

そしてコロナ禍を乗り越えていい意味で変わってしまったこともたくさんあります。

コロナを経験し、ウクライナやイスラエルの戦争状態を目の当たりにすると、

平和で普通に暮らせていることがいかに幸せかということを我々は思い知らされました。

本当に感謝であります。

 

・・と、ここまで書いたところで不覚にも風邪をひいてしまい

2日間寝込んでしまいました。社長になって20年、

一度も風邪で寝込むことはなかったのに、さらにコロナ禍でも戦線離脱することはなかったのに・・

と思いつつおとなしく自宅療養していました。

その時に今年の年頭に立てた自分の目標「ONOFFの切り替え!」のことを思い出していました。

毎日なんだかんだとやっているうちに時間が経ってしまい、

結局、仕事とプライベートの境がほとんどないまま今年も過ぎようとしています。

会社やまわりにご迷惑をおかけしましたが、

二日間寝込み体を休めたことで、その帳尻を少しでも合わせられたのではないか

と思ったりもしています。

病気でOFFの時間を穴埋めするなんて本末転倒なので

来年こそは「ONOFFの切り替え」をしっかりして健康に気をつけ、

さらにいい仕事をしようと思います。

 

今年一年、私のつたないコラムにお付き合いいただき有難うございました。

皆さまにとって新しい年がさらに良い年になることをお祈りして今年も締めたいと思います。

社長コラム 2023年11月号「祝 阪神タイガース日本一」

2023年11月号

11月5日は大阪のみならず全国の虎党は歓喜の美酒に浸っておりました。

道頓堀は言うまでもなく、新地もミナミも翌朝まで狂喜乱舞の一晩だったと思います。

阪神タイガースが球団初の日本一に輝いたのが38年前!!

我が社でも生まれていない社員がたくさんいるくらい昔の話になります。

そのときのクリンナップは3番 ランディ・バース(現在69歳)

4番 掛布雅之(現在68歳)5番 岡田彰布(現在65歳)・・

もちろん岡田彰布は現在の阪神タイガースの監督でありますが、

この3人のことを覚えている人はどれだけいるのでしょうか?

私はそのころ訳あって?熱烈な巨人ファンを名乗っておりました。

なぜ阪神ファンに改心したかは置いておいて・・

この年、巨人ファンにとっても記憶に残る鮮烈な試合というか場面がありました。

1985年4月17日 甲子園球場での阪神-巨人戦7回裏、世にいう「伝説の3連発」です。

3番 バース、4番 掛布、5番 岡田が、巨人の槇原からのたった6投球の間に

バックスクリーン周辺へ3連発のホームランを叩き込んだのです。

あの場面は私もテレビ中継で観ていて今でも覚えています。

ちなみにこの時の巨人の4番は原辰徳前監督だったのです。

今にして思えばこの試合が、その年の阪神タイガース日本一への序奏だったのかもしれません。

そして38年経って岡田彰布監督が再び

日本一を達成する時に巨人の監督が原辰徳だった。

やはり、何か因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか?

 

今年の日本シリーズは関西ダービーだったこともあり、

全国的にはイマイチ盛り上がりに欠けていましたが、

NPBの興行的には最終の7戦目までいって万々歳で、

それぞれのコアなファンにとっても最高の展開だったと思います。

1試合での収入が5億とも6億とも言われているので、

4試合で決まるのと7試合までやるのとでは関西圏での経済効果もまったく違うのです。

今年の日本一への分かれ目はやはり、第7戦の4回表

大山を追い込んで宮城投手が投げた内角のデッドボールだったと思います。

そのあとにノイジーがホームランを打って、緊迫した試合の流れがイッキに阪神に傾いたのです。

阪神ファンはみんな同じことを思っていますが、

今年の岡田監督の采配は普通のことを普通にこつこつやる!奇策無し!

当たり前のことを積み重ねて日本一になった。

勝負の世界は結果がすべてなのですが、我々企業人も

この岡田采配に見習うところがたくさんあるような気がします。

今から来年の阪神タイガースの戦いが楽しみです。

 

11月7日に森喜朗先生が久々に故郷、能美市の根上町に登場され

能美市の中学3年生500人の前で熱弁をふるわれました。

森喜朗先生は86歳、中学3年生は15歳・・

70歳の世代間ギャップのある中、冒頭、能美の歴史やご自分の生い立ち、

戦争でご家族を含めて大変ご苦労されたことを話されていました。

私は今回も森喜朗先生に同行して、舞台袖で会場の様子を見ていましたが

正直、生徒たちはピンときていない様子でした。

確かにこの平和な時代に生まれ育った子供たちに

昔の戦争や争いの話をして理解しろと言うのは無理なのかもしれません。

しかし今、自分たちが平和に暮せているのは

先人達が命を張ってこの日本を守ってくれたからである!

ということをほんのちょっとでも心に留めて、感謝の気持ちを持って

これからの人生を歩んでほしいと思うのです。

今回この企画を考えた私と同年代の能美市の井出敏朗市長も

そのことを中学3年生に伝えたかったのではないかと勝手に思っています。

後半の部は今度は攻守交代?生徒代表からの森喜朗先生への質問コーナー・・

「今の減税と増税の政策をどう思うか?」「北陸新幹線の敦賀開業効果は?」

「ロシアとウクライナの紛争などの国際問題をどう思うか?」・・等々、

まあ中学3年生がそこまで言うのかというくらいの質問を飛ばし、

それを森喜朗先生なりに丁寧に回答されていました。

私が横で聴いている限り森喜朗先生はどちらかというと防戦気味?

これはこれで見ていてなかなか面白かったです。

全部、終わって生徒代表から花束をいただき、

全員に見送られて満面の笑顔で会場をあとにする姿がとっても印象的でした。

ご存じのように森喜朗先生は9月に転んで足の骨を剥離骨折され

現在、車椅子状態です。

ご年齢を考えても車椅子で東京から移動するだけでも大変なのに、

中学生の前で延々2時間熱弁をふるわれ、横で見ていてもホントに凄いと思いました。

私は小松空港までお見送りに行ったのですが、全く疲れた様子も見せず、

最後は笑顔で車椅子から手を振って飛行機に乗って行かれました。

東京から同行された秘書の方を含め、まわりは大変だったと思いますが、

森喜朗先生のまったく衰えていないあの気力とパワーには脱帽であります。

次回はしっかりリハビリをして必ず歩いて来県されると確信しております。

 

11月10日(金)大安の朝に新社屋の棟上げをしました。

施工チームの皆さんのおかげで基礎工事も予定通り終わり、

いよいよ鉄骨を組み始め少しずつ新社屋の全容が見えてきました。

正直、基礎工事の時には新社屋は案外小さいのかなぁと思って見ていましたが

鉄骨を組み始めると「でか!」って感じです。これから工程が進むのが楽しみです。

 

今年もラスト1か月になりました。

来年2月にはわが社は創業90周年を迎え、

例年以上にばたばたの師走になると思いますが元気に乗り切ろうと思います。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2023年10月号「金沢市経済活動賞」

2023年10月号

10月に入っても30℃近くの日が続いてどうなるのだろうと思っていたら

第一週の後半を境に季節がイッキに秋になってしまいました。

温暖化とはいえ、ちゃんと秋はやってくるのです。

いよいよタリーズのロイヤルミルクティが美味しい季節になって参りました。

今更申し上げるまでもないのですが、私はこの夏の猛暑の間も欠かさず

ホットのロイヤルミルクティを飲み続けていました。

最近、スマホのアプリに入れてある自分のタリーズカードの中に

店舗別ランキングというのを見つけました。

自分なりにこだわって週末休みの朝はタリーズ!と決めてせっせと通っていたのですが、

私の順位は13位?この店舗別ランキングが来店回数なのか

トータル購入金額なのかわからないのですが・・

少なくともあの金沢入江店で私の上をいっている人が12人いるということです。

この12人が多いのか少ないのかは別にして・・

ここまできたらさらに上を目指してこの冬もせっせとロイヤルミルクティを飲むことにしよう。

 

今月10日に金沢市から令和5年度 金沢市経済活動賞をいただきました。

大変栄誉なことで本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

当初、金沢市産業政策課さんのほうから内示のお知らせをいただいたときに

一瞬、誰の話?って感じでピンとこなかったのですが・・

いろいろお話をお聞きするにつれ、事の重大さを実感してきました。

私でいいのかなぁというのが率直な気持ちでした。

そもそもこの金沢市経済活動賞は

「金沢市の商工業、観光等の分野で他の模範となる活動を行い、

地域経済の振興及び発展に貢献している中堅経済人と、

永年にわたり地道に活動をしている方を顕彰するため、平成13年度に創設」となっていました。

昨年までに60名の方々が受賞されているそうです。

過去の受賞者の中には金沢を代表する立派な経済人がたくさん並んでおられ、

その方々の貢献に比べれば私などはまだまだ足元にも及びません。

今年度の受賞者は私を含めて3名、ひとりは私の長年の友人である日栄商事の中村哲郎社長、

もうひとりは石川トヨタの架谷洋司社長です。

特に中村哲郎社長とは学生時代からの長い長いお付き合いで、

子供たちも同年代、父親同士も同い年で

残念ながら父上の外志郎さんはお亡くなりになられていますが、

今でも中村家と小池田家は切っても切れない関係であります。

その中村哲郎社長と今回一緒にこの経済活動賞を受賞できたことは二重の喜びでもありました。

 

受賞式が始まる前までは、中村哲郎社長と架谷洋司社長と

控室で結構リラックスして雑談していましたが、

いざ受賞式になり、金沢市文化ホールの大ホールに入った瞬間に空気は一変しました。

ぴーんと張りつめた雰囲気の中、壇上には村山卓金沢市長や高誠金沢市議会議長、

そして山田・新保両副市長が座っておられ、さらに会場には受賞者の関係者を含め、

たくさんの方々がこの受賞式に参列されていました。

あの光景を見て改めてこの経済活動賞の重みを認識しました。

そして檀上で村山市長から直接、経済活動賞の賞状と正賞(楯)をいただきました。

正直あんなにでかい賞状をいただいたのは生まれて初めてでした。

おまけにその賞状は和紙(・・たぶん金沢の二俣和紙?)にすべて手書きで書かれていました。

びっくりです!あの賞状じたいにも価値があるのです。

今回は文化活動賞・スポーツ文化活動賞の受賞式も同時に執り行われたのですが、

それぞれの受賞者もごくわずかの方々でした。

 

そもそも今回の経済活動賞の受賞は私の功績ではなく、

私のベースである我が北都鉄工のみんなが頑張っていい仕事をして、

世の中に少しはお役に立てていることが評価されたのだと思っています。

たまたま私はそこの社長をやらせてもらって、経済活動をおこなっているだけなのです。

今回の賞状は社員や家族を含めた北都鉄工に関わる全員にいただいたものです。

今回の受賞を励みにこれからも全社員と一緒になって、なお一層精進して

本当の意味でお客さまに喜んでいただける仕事をしていきます。

そしてそのことがまた地域や世の中のためになると信じています。

これからもどうか宜しくお願いします。感謝!

 

・・本来なら今月はここで締めたいところなのですが、

やはり阪神タイガースを書かなければいけません。

この原稿を書いているときにちょうどCSで広島に3タテを食らわせて

日本シリーズ進出が決定しました。

阪神タイガースのセ・リーグ優勝決定から1か月近く間が空いて

その間、ラグビーワールドカップやアジア大会の熱戦が繰り広げられ、

何となく間延びした感があり、阪神タイガースは大丈夫だろうかと心配しておりました。

しかしその不安はあの広島とのCSの戦いぶりを観て完全に払しょくされました。

とにかく今年の阪神タイガースはめちゃめちゃ強い!あの勝ちっぷりはお見事!

1か月空いてもシーズン中の勢いはまったく衰えていなかったのです。

今年はオリックスとの関西ダービーを制して日本一間違いなし!

これでまた関西の景気はさらに上向くのです。

(余談ですが・・・個人的にはCSそのものに疑問を感じています。

そろそろ考えたほうがいいと思う。そもそも一年を戦ってリーグ優勝したチームが

そのまま日本シリーズへ行くべき!)

 

新社屋建設工事は今月で基礎工事も終わり、来月からいよいよ鉄骨の建て方が始まり

新社屋の全体像が見えてきます。とっても楽しみです。

早いもので今年も残り2か月ちょっと、

今年の冬はスーパーエルニーニョで暖冬と言われていますが・・ホントかなぁ。

とにかくそろそろ冬を迎える心構えだけはしようと思います。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

社長コラム 2023年9月号「Made in ジャパン!」

2023年09月号

「暑さ寒さも彼岸まで・・」今年の夏は異常続きの高温で

ホントにこの暑さはいつまで続くのだろうと思っていましたが、20日過ぎたあたりから

少しずつ気温が下がり始め、ようやく秋の気配が感じられるようになってきました。

先日、能越自動車道 輪島道路の盛大な開通式に出席してきました。

我が社は5年前に三井インターOFFランプ橋を施工させていただき、開通パレードの時にその橋を渡って

一般道に降りました。自分の会社で架けた橋を、開通式でみんなと一緒に渡るのは感無量なのです。

地域のお役に立てたことに喜びを感じ、社員に感謝しつつ

このことが我が社の原動力につながると思っています。

 

ところで皆さんは、長野県に竹内製作所という会社があることをご存じでしょうか?

長野市内からクルマで30kmほど、南へ下がった坂城町というところにあります。

この会社は油圧ショベルやミニショベルを製造する建機(建設機械)メーカーで

従業員1,100名、売上1,800億円、経常利益213億円、東証プライム市場上場の超優良企業です。

一般的に建機というとコマツさんや日立建機さんといった

大型のショベルカーをつくる会社をイメージするのですが

この竹内製作所さんはそれらの会社とは一線を画し、小型の建機に特化して

設計開発から製造・販売までおこなう完成品メーカーです。

先日、石川県鉄工機電協会 広報情報委員会の研修視察でこの竹内製作所さんを訪問してきました。

当日は当委員会メンバーの中に、竹内製作所さんの大事なサプライヤーも含まれていたこともあり

竹内敏也社長さんや渡辺孝彦管理購買部長さんという、我々が普段なかなかお会いできない

お二人にまでご登場いただき、直接お話をお聴きする機会をいただきました。

失礼ながら私は今回お伺いするまで、この竹内製作所さんが長野のどこにあってどんな会社なのか、

ほとんど知りませんでした。実は私は県内でこの竹内製作所さん製のミニショベルカーを見たことがありません。

それもそのはずで、現在石川県内に竹内製作所さん製の建機は数台?4~5台?しか

稼働していないそうです。そもそも竹内製作所さんは国内に市場を求めておらず、

なんと99.5%を海外に輸出されているそうです。

今回、竹内社長さんのお話をお聴きして正直驚きの連続でした。

「海外メーカーより高くても頑丈で壊れないいいものをつくる。」

「カタログには載っていない部分にこだわって、使った人にしかわからない良さを感じてもらう。」

「そのために自分たちの目の届くところでモノづくりをする、あくまで国産にこだわる!」

と、おっしゃるのです。実際、ほとんどの輸出される製品は、完成品に近い状態で輸出され

現地には最終工程のみを行う工場と、その販売拠点しかないそうです。

それで年間30,000台を出荷しているのです。

そもそも長野県には港がないので、200km離れた静岡の清水港から輸出しており

さらに今年、年間生産能力10,000台の新工場を本社から15km離れた長野県内に完成させたそうです。

創業以来、国産にこだわり、地元長野に貢献して、お客様に喜んでいただける建機を作り続ける

竹内製作所さんには完全に脱帽でした。

東証プライム市場上場の会社が、ここまでこだわってモノづくりをやるのかと感激して帰ってきました。

もちろん工場も見せていただきましたが、言うまでもなく

整然とすきまなく製品が並びスムーズにラインが流れていました。

わが社もモノづくりにはこだわっているのですが、竹内製作所さんの足元にも及びません。

竹内社長さんのお考えや、会社運営について見習うべきところがたくさんあったことは

今回の研修視察の大きな収穫だったと思います。

わが社でも1台、竹内製作所さんのミニシャベルを買って使ってみたいと思いましたが・・

具体的な使い道が思い浮かばず、多分うちの管理本部は首を縦に振らないと思う。

ちなみの竹内製作所さんのコーポレートカラーは「赤と白」です。

そう!日の丸の「赤と白」だそうです。あくまで「Made in ジャパン」なのです。

 

今月、経歴の違うお二人の講演を聴く機会がありました。

お一人はわが社のユニフォーム(作業服)で大変お世話になっている

お隣、福井県にあるユニフォームネクストの横井康孝社長さん

もうお一人は全国大学ラグビーフットボール選手権大会で、史上初の9連覇を達成した

帝京大学ラグビー部前監督の岩出雅之さんです。

横井社長さんは「いつもお客様の立場になって考える!既存のお客様を大切にする。」

「社員みんなで努力して成長していく。誰ひとり置いていかない!」

「社員の積極性を引き出すために簡単で大事なことを徹底する。」

そんな企業文化を構築するために結局、行く着くところは「人づくり!」だとおっしゃっていました。

横井社長さんにお会いしたのは今回で3回目、会社へは2度お伺いしました。

決してユニフォームネクストさんの宣伝するつもりはないのですが

是非皆さん一度このユニフォームネクストさんと接点を持たれることをお勧めします。

横井社長さんがおっしゃっていることを、社員の皆さんおひとりおひとりが見事に実践され

最高の笑顔で働いておられます。

もうお一人の岩出前監督は、当初9連覇するためにどんな厳しい練習やトレーニングを積んで

どんな戦術で闘ったのかと言うお話を想像していたのですが、そんなお話は一切ありませんでした。

強いチームを作るには

「自分たちでしっかり考えて、DXの時代になっても人にしかできないことは人がやる!」

そのためには、「聴く耳を持つ」「笑うことが大事だ」「お金で買えないわくわくドキドキを持て」・・

結局「ラグビーを通じて人づくり人間づくり」をしているのだとおっしゃっていました。

もちろん9連覇は日々の厳しい練習の積み重ねの賜物なのですが、

そのベースに「人づくり」があるからこそ、本当に強いチームができるのだと思いました。

お気づきの通り、お二人の共通点はまさに「人づくり」なのです。

言葉で言うのは簡単なのですが、大変難しいテーマ!ある意味、永遠のテーマかもしれません。

私が今やっていることは、このお二人にはまだまだ及びませんが

お二人が講演で話されたことをしっかり胸に刻んで、日々仕事にあたりたいと思います。

 

気が付いたら今年もあと3か月ちょっととなりました。

先日の日経新聞に12~2月、気象庁予報「東・西日本、暖冬に」「日本海側、降雪量少なく」

という記事が載っていました。

今冬は南米ペルー沖の海面水温が上昇する「エルニーニョ現象」や

偏西風の蛇行で暖冬傾向になる!と書いてありました。ほんとかなぁ???

10月は穏やかな天候が続くことを期待します。

来月は阪神日本一、ラグビーワールドカップ日本決勝トーナメント進出・・・楽しみです。

今月は長くなりましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。

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