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社長コラム 2024年3月号「北陸新幹線敦賀開業」

2024年03月号

我が社の創業の地 金沢から現在の白山市に移転したのが39年前。

その当時、我が社の後ろを北陸新幹線が走ることを誰が想像しただろうか。現在、社屋や工場敷地内から北陸新幹線が走る姿を毎日見ることができます。

なかなか新鮮でいい眺めです。

 

3月16日に北陸新幹線が敦賀まで開業しました。

北陸新幹線が東京から金沢まで開業したのが2015年、あれから9年が経ち石川県内を通り抜けとうとう敦賀まで伸びました。

開業当日は敦賀や福井だけでなく、小松や加賀温泉も祝賀ムードに包まれ大変盛り上がっていました。

 

この区間の開業までには工事の遅延や能登半島地震の発生などたくさんの苦難があり、今回の開業は関係者にとっては感無量だったと思います。

これからこの敦賀開業がもたらす経済効果は計り知れないものがあります。

ただ・・確かに地元への経済効果は計り知れないのですが、利用する者の立場からすると関西や名古屋方面への利便性や時間短縮効果には

いささか疑問符がつくような気がしています。

もちろん、この北陸新幹線の最終到達地は新大阪なので今の時点でどうこう言うのは時期尚早なのですが。

 

 

物心がついたころから大阪・京都は「雷鳥」、名古屋は「しらさぎ」に乗って乗り換えなしで往復していました。

時代とともに大阪・京都は「雷鳥」→「スーパー雷鳥」→「サンダーバード」、

名古屋は途中、米原での東海道新幹線乗り継ぎ専用特急「加越」も走ったという変遷を辿りましたが、

もう金沢駅で「サンダーバード」や「しらさぎ」に乗れないのかと思うといささか淋しいものがあります。

 

まあ、こんな感傷に浸っていても仕方ないので、とにかく敦賀で乗り換えて関西や名古屋へ行ってみようと思います。

差し当たり来月、大阪出張があるので乗ってみてまたコメントします。

実際、敦賀での乗り換えにどのくらい時間がかかるのか?

行きはいいのですが帰りはもう金沢駅止まりではないので寝過ごさないかいささか心配です。

 

今後、新大阪までの延伸については地下を通過する京都が大反対しているので、

計画を白紙に戻して敦賀から米原までつないで東海道新幹線に合流させたらどうかと思っているのは私だけでしょうか。

敦賀⇔米原は45㎞です。これなら私が生きている間に北陸新幹線で新大阪まで行けるような気がします。今後の展開に期待しています。

 

 

 

 

能登半島地震から3か月近くが経ちました。

まだたくさんの方々が避難生活をおくられ不自由な毎日を余儀なくされていますが、

能登は日を追うごとに少しずつ復旧しておりこれからさらに復旧の速度は上がっていくものと思われます。

そして今後は能登をどうするのか!どうあるべきか!

次の世代の人たちが、声をあげたくさんの知恵を出して復興に向けて動き出してほしいと思います。

 

これからが本当の意味での能登復興へのスタートです。

まだまだ先は長いのですがみんなで力を合わせて必ず能登を復活させるのです。

 

 

 

3月23日に金沢の金石港で1日限定の「出張輪島朝市in金石」が開催されました。

当日は輪島朝市組合から29店が出店し輪島朝市のシンボル、オレンジ色のテントがずらりと並び、

鮮魚や干物・刺身といった海産物や輪島塗の商品や雑貨などがたくさん売られていました。

 

能登半島地震で輪島朝市通りは壊滅状態になり、輪島朝市のお店の皆さんはそれぞれ避難生活を余儀なくされ仕事のめどがまったく立たなくなっていました。

そんな中、港つながりで地元金石やたくさんの皆さんのご尽力のお陰で1日限定ではあるものの朝市が開けたことは本当によかったと思います。

 

当日は朝からあいにくの雨模様でしたが朝市が閉店するお昼までの間に13,000人(・・大本営発表?)の人があの狭い金石の町に押し寄せたそうです。

実は私も仕事の合間に顔を出したのですが金石の町では見たことのないくらいの人で溢れていて到底、

朝市のテントまで辿り着ける状況ではありませんでした。

この模様は全国ニュースでも取り上げられましたが、改めて人の優しさや温かい気持ちを感じる光景でした。

今後はこの「出張輪島朝市」をいろいろなところで開催していただき、その積み重ねが能登復興に少しでも繋がればいいなぁと思います。

お世話いただいた地元金石の皆さんには改めて感謝と敬意を表します。

 

輪島朝市のおばちゃんのあの笑顔と涙がとても印象的でした。

 

 

 

今年の冬はエルニーニョ現象の影響で当初から暖冬!暖冬!の大合唱で、

ホントかなぁと思いながら毎日過ごしていました。

実際、この冬に自宅前で雪掻きをしたのは2回だけ!それもだーっと1時間程度。

会社からの自宅待機の連絡を一度も流すこともなく3月になりました。

 

このまま暖かい春がくるのだろうと思っていました・・が!3月中旬になって気温が急降下、

春分の日に雪が舞うというおおかた春とは思えない光景でした。

まあそんなこんなしているうちに今年の冬も終わり、年度末が近付いてきました。

能登半島地震で多少の被害はあったもののお陰さまで予定していた仕事はすべて無事に竣工して

なんとか新年度を迎えることができそうです。

これも社員の皆さんやすべての関係者の方々のお陰と感謝しています。

 

 

 

4月には新たに新入社員5名を迎えます。

そして7月末にはいよいよ新社屋が完成します。

今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」です。

 

年明けから能登半島地震で一旦ブレーキがかかりましたが、

4月からギアを切り替え次の世代に向けて北都はどうあるべきか、

このタイミングで何をしなければいけないのかをみんなで考えていきたいと思います。

変わるときには当然、抵抗もあります。

そこを乗り越え固定観念を取っ払って

さらに明るくおもしろい会社を目指して前に進んでいきます。

新年度からも宜しくお願いします。

 

 

 

・・・と、ここまで書いてそろそろ管理本部にこの原稿を提出しようかと思ったところに

今年度、最後の珍客が登場。「ビーバー君」です!

何で「ビーバー君」が来社したのかは我が社のインスタをご覧ください。

 

とにかく、新年度からも手を緩めることなくさらにいい仕事をしていきます。

長くなりましたが今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。

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