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社長コラム
2026
社長コラム 2026年10月号「創業者 小池田小平」
9月は雨続きで爽やかな秋晴れ日がほとんどなかったのですが、10月に入ってからは比較的安定した天気が続き、台風も本州を避けながら通過していくような感じでした。
今年の春にエルニーニョ現象が発生して、この冬は「暖冬・少雪傾向」といわれておりますが、
その長期予報を額面通り受取っていいものか?とにかく冬は確実にやってくるのです。
その前に、来月になると今度はとっても綺麗な紅葉が金沢の街並みを引き立ててくれます。
それが次の楽しみです。
いささか個人的な話になりますが・・
今月初めに私のおじいちゃんで北都鉄工創業者 小池田小平の50回忌の法要が執り行われました。
小池田小平は北都鉄工の初代社長、我が社のホームページの沿革にも載っておりますが、
1934年に北都電気溶接所を創設し、北陸最初の電気溶接事業を立ち上げました。電気溶接は今ではどの製造現場でも当たり前に使われていますが、当時は本当に画期的なものだったと思います。そののち株式会社 北都鉄工を設立して2年前に創業90年を迎えたことは、このコラムでも何度か書かせていただきました。
その小池田小平、私のおじいちゃんが亡くなって今年でちょうど50年になりました。亡くなったのは1976年(昭和51年)12月4日、私が高校1年の時です。授業の休み時間に担任の先生がいきなり教室へ来て「小池田!おまえのじいちゃん亡くなったからすぐ帰れ!」と言われたことを今でも鮮明に覚えています。もちろん一緒に仕事をしたこともなく、仕事をしている姿を見た覚えもないのですが私にとっては優しいおじいちゃんでした。いつも補聴器をつけて、熱いお粥になぜか牛乳をかけて美味しそうに食べている姿が印象に残っています。晩年は肺病を患い、入退院を繰り返し74歳で亡くなりました。今の医療技術であれば、もっと長生きできたのではないかと思います。
そして私の父 康成が後を継ぎ、現在、私が3代目社長を務めております。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、父 康成は幼少期に岡田家から小池田家へ養子に入り、そこへ母が嫁いだので、そもそも小池田小平とは血縁関係はないのですが、それから家族がどんどん増えて今ではうちの両親からひ孫まで総勢34人になりました。このご縁の元である小池田小平そしておばあちゃんのしげさんに改めて感謝なのです。
創業者 小池田小平が現在の北都鉄工の姿を見てどう思うだろうか?と思うことが時々あります。創業当時は5人くらいだった社員が現在は130人になりました。
ものづくりに対する熱い想い、技術レベル向上へのあくなき探求、そして社是である「誠意と研鑽」。
時代が変わっても創業者のこの想いは絶対に忘れてはいけないなのです。そして、そのことを次の世代に伝えていくことも私の大きな役割だと思っています。
これまでたくさんのご縁をいただき、人に出会い、仕事に出会い、そのことが我が社の成長に繋がっているのです。感謝しかありません。
AIが普及し、世の中の環境も働く人の考え方もどんどん変わってきました。どんな世の中になっても創業者の想いをもとに、その時代にあったやり方を取り入れ、ものづくりを続けていこうと思います。我々の使命は、お客さまに喜んでいただく仕事をして世の中に必要とされ続けることなのです。

うちの相談役からこんな写真をもらいました。
よく見ると下のほうに薄い印刷で「北都会 於 若葉 38,1,12」となっていました。おそらく現在の北都鉄工共力会のルーツ、発足の会ではないかと思われます。昭和38年1月は私が1歳の時です。
前列中央は創業者 小池田小平、向かって右側が私の父 小池田康成相談役。さらに向かって左側は諸江俊男さん、当時、我が社の設計を担当され、のちに技研 株式会社を設立されました。
それぞれの原点がもしかするとこの1枚の写真だったのかもしれません。
私も今月とうとう65歳になりました。世の中でいう高齢者の仲間入りです。
気持ちはまだまだ若いつもりですが、体がところどころガタがきています。
これからも心身ともに健康に気を付けて、次の世代にバトンを渡す準備をしながらもうしばらく頑張ろうと思います。
今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。