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社長コラム 2023年11月号「祝 阪神タイガース日本一」

11月5日は大阪のみならず全国の虎党は歓喜の美酒に浸っておりました。

道頓堀は言うまでもなく、新地もミナミも翌朝まで狂喜乱舞の一晩だったと思います。

阪神タイガースが球団初の日本一に輝いたのが38年前!!

我が社でも生まれていない社員がたくさんいるくらい昔の話になります。

そのときのクリンナップは3番 ランディ・バース(現在69歳)

4番 掛布雅之(現在68歳)5番 岡田彰布(現在65歳)・・

もちろん岡田彰布は現在の阪神タイガースの監督でありますが、

この3人のことを覚えている人はどれだけいるのでしょうか?

私はそのころ訳あって?熱烈な巨人ファンを名乗っておりました。

なぜ阪神ファンに改心したかは置いておいて・・

この年、巨人ファンにとっても記憶に残る鮮烈な試合というか場面がありました。

1985年4月17日 甲子園球場での阪神-巨人戦7回裏、世にいう「伝説の3連発」です。

3番 バース、4番 掛布、5番 岡田が、巨人の槇原からのたった6投球の間に

バックスクリーン周辺へ3連発のホームランを叩き込んだのです。

あの場面は私もテレビ中継で観ていて今でも覚えています。

ちなみにこの時の巨人の4番は原辰徳前監督だったのです。

今にして思えばこの試合が、その年の阪神タイガース日本一への序奏だったのかもしれません。

そして38年経って岡田彰布監督が再び

日本一を達成する時に巨人の監督が原辰徳だった。

やはり、何か因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか?

 

今年の日本シリーズは関西ダービーだったこともあり、

全国的にはイマイチ盛り上がりに欠けていましたが、

NPBの興行的には最終の7戦目までいって万々歳で、

それぞれのコアなファンにとっても最高の展開だったと思います。

1試合での収入が5億とも6億とも言われているので、

4試合で決まるのと7試合までやるのとでは関西圏での経済効果もまったく違うのです。

今年の日本一への分かれ目はやはり、第7戦の4回表

大山を追い込んで宮城投手が投げた内角のデッドボールだったと思います。

そのあとにノイジーがホームランを打って、緊迫した試合の流れがイッキに阪神に傾いたのです。

阪神ファンはみんな同じことを思っていますが、

今年の岡田監督の采配は普通のことを普通にこつこつやる!奇策無し!

当たり前のことを積み重ねて日本一になった。

勝負の世界は結果がすべてなのですが、我々企業人も

この岡田采配に見習うところがたくさんあるような気がします。

今から来年の阪神タイガースの戦いが楽しみです。

 

11月7日に森喜朗先生が久々に故郷、能美市の根上町に登場され

能美市の中学3年生500人の前で熱弁をふるわれました。

森喜朗先生は86歳、中学3年生は15歳・・

70歳の世代間ギャップのある中、冒頭、能美の歴史やご自分の生い立ち、

戦争でご家族を含めて大変ご苦労されたことを話されていました。

私は今回も森喜朗先生に同行して、舞台袖で会場の様子を見ていましたが

正直、生徒たちはピンときていない様子でした。

確かにこの平和な時代に生まれ育った子供たちに

昔の戦争や争いの話をして理解しろと言うのは無理なのかもしれません。

しかし今、自分たちが平和に暮せているのは

先人達が命を張ってこの日本を守ってくれたからである!

ということをほんのちょっとでも心に留めて、感謝の気持ちを持って

これからの人生を歩んでほしいと思うのです。

今回この企画を考えた私と同年代の能美市の井出敏朗市長も

そのことを中学3年生に伝えたかったのではないかと勝手に思っています。

後半の部は今度は攻守交代?生徒代表からの森喜朗先生への質問コーナー・・

「今の減税と増税の政策をどう思うか?」「北陸新幹線の敦賀開業効果は?」

「ロシアとウクライナの紛争などの国際問題をどう思うか?」・・等々、

まあ中学3年生がそこまで言うのかというくらいの質問を飛ばし、

それを森喜朗先生なりに丁寧に回答されていました。

私が横で聴いている限り森喜朗先生はどちらかというと防戦気味?

これはこれで見ていてなかなか面白かったです。

全部、終わって生徒代表から花束をいただき、

全員に見送られて満面の笑顔で会場をあとにする姿がとっても印象的でした。

ご存じのように森喜朗先生は9月に転んで足の骨を剥離骨折され

現在、車椅子状態です。

ご年齢を考えても車椅子で東京から移動するだけでも大変なのに、

中学生の前で延々2時間熱弁をふるわれ、横で見ていてもホントに凄いと思いました。

私は小松空港までお見送りに行ったのですが、全く疲れた様子も見せず、

最後は笑顔で車椅子から手を振って飛行機に乗って行かれました。

東京から同行された秘書の方を含め、まわりは大変だったと思いますが、

森喜朗先生のまったく衰えていないあの気力とパワーには脱帽であります。

次回はしっかりリハビリをして必ず歩いて来県されると確信しております。

 

11月10日(金)大安の朝に新社屋の棟上げをしました。

施工チームの皆さんのおかげで基礎工事も予定通り終わり、

いよいよ鉄骨を組み始め少しずつ新社屋の全容が見えてきました。

正直、基礎工事の時には新社屋は案外小さいのかなぁと思って見ていましたが

鉄骨を組み始めると「でか!」って感じです。これから工程が進むのが楽しみです。

 

今年もラスト1か月になりました。

来年2月にはわが社は創業90周年を迎え、

例年以上にばたばたの師走になると思いますが元気に乗り切ろうと思います。

 

今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。