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社長コラム
2024
社長コラム 2024年10月号「10月14日」
皆さん、10月14日は何の日かご存じでしょうか? 一般的に知られているのは「鉄道の日」。 1872年10月14日に新橋駅と横浜駅の間を結んだ、日本初の鉄道が開通した日 それを記念して1922年に当時の鉄道省が「鉄道記念日」と制定したそうです。 このことはまあまあ知れている話なのですが・・ 改めてウィキペディアで調べてみると、10月14日に起こったことがあるわ!あるわ! まあ365分の1日なので当然といえば当然なのですが・・。 詳細はウィキペディアに載っているので興味のある方は一度ご覧ください。 身近な話としては1958年 東京タワーが竣工、1974年 長嶋茂雄の引退試合・・。 当然、この日に生まれた人もいるわけで、1867年 正岡子規、 1890年 アイゼンハワー米大統領、1970年 女優の永作博美、 さらに私の全くの独断で最も可愛い天気予報士の田中美都さん (・・NHK 午後LIVEニュースーンに出演中)も10月14日生まれです。 冒頭から長々と10月14日のことを書かせていただきましたが、 お察しの通り私も10月14日生まれで現在63歳です。 ちなみに私が所属している金沢東ロータリークラブには10月14日生まれが4人もいて 毎年欠かさずこの4人で誕生会を開いています。 今年の10月14日は私にとっても我が社にとっても特別な日になりました。 ホテル日航金沢で「北都鉄工 創業90周年 感謝の集い」を開かせていただきました。 このことについてはすでに新聞やSNS上で書いていただいているのですが、 私からも改めて少しご報告をさせていただこうと思います。 当日は我々主催者側も含めて281名の方々にご出席をいただきました。 森喜朗元内閣総理大臣、有村治子参議院議員、岡田直樹参議院議員、馳浩石川県知事、 村山卓金沢市長、田村敏和白山市長をはじめ、経済界からもたくさんの方々にご出席いただき お名前を挙げればきりがないのですが・・我が社が大変お世話になっている方々、ご本人に お越しいただきました。単に感謝の集いに花を添えていただくということだけではなく、 それぞれの方々に直接、感謝の気持ちをお伝えできたことは嬉しい限りでした。 特にうちの相談役の金沢二水高校の同級生で、私のもう一人の親代わりの森喜朗先生には 人工透析治療中で体調万全ではない中、車椅子でお越しいただき、 高校時代の話から初めて選挙に出たときのこと、そして私や我が社とのかかわり さらに政局の話まで、いつもとは全く違った雰囲気でお話をいただき 最後は「次の時代にむけて頑張れよ!」とエールをいただきました。 当初「挨拶は5分でお願いします!」だったのですが・・結局20分! 私も最初は時間を気にしながら聴いていたのですが、最後は聴き入ってしまい 改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。 マスコミや巷では未だに「政界のドン」とかいろいろ言われているようですが、 あのお話している森喜朗先生のお姿はそんなイメージはまったくなく、 穏やかでさりとて重厚感たっぷりの普通のおじいちゃん? うまく表現はできませんが、私が知っている森喜朗先生本来のお姿だったと思います。 森喜朗先生とうちの相談役は「90歳までは元気で頑張るぞ!!」と お互いにエールを送っているようですが、 おそらく90歳どころか次の100周年にも二人並んで座っているような気がします。 そんな二人の姿を今回たくさんの方々に見ていただけたことは、本当によかったと思っています。 今回の「90周年感謝の集い」のテーマは「これまでも 今も これからも」です。 相談役→私→取締役の息子と、ずーっと続いているたくさんの方々とのご縁に感謝をして、 これからもこのご縁が広がり続けていくことを願ってこの会を開かせていただきました。 特に今回は親子・ご兄弟でご出席いただいた方々が30組ほどおいでになり、 何代にもわたりお付き合いいただいていることに改めて感謝の気持ちでいっぱいでした。 手前味噌ですが・・当日は各テーブルで素敵な笑顔や歓声があがり、 たくさんの方々に楽しい時間を過ごしていただけたことは本当によかったと思っています。 さらに今回は少しだけ能登にもこだわり、この会を開くことによって微力ですが 能登復活の一助になったのであればさらに嬉しいのです。 感謝の会にもかかわらず、たくさんの方々から激励やエールをいただきました。 このことを励みに次の100年に向けて、さらにお客さまに喜んでいただける仕事をして、 全社員でもっともっとおもしろい会社を目指して頑張りますので これからも宜しくお願いします。 まだまだ書きたいことはあるのですが、長くなってしまうので続きはまた来月! 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年9月号「敬老の日」
先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」を見ていたら「敬老の日はもともとなに?」 という問題がありました。はて??答えは・・ 兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)で、1947年9月15日に 当時の門脇政夫村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしましょう!」 と提唱して、村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりだと言われています。 それが兵庫県内全体に広がり、1954年に9月15日を国民の祝日として 「敬老の日」が制定されました。その後2003年から祝日法改正により 9月第3月曜日が「敬老の日」となったのです。 ちなみにこの多可町の八千代コミュニティプラザ前に「敬老の日提唱の地」と刻まれた 石碑もあるそうです。 皆さん、ご存じでしたか?? ところでこの敬老、老人とはいったい何歳以上の人を指すのでしょうか? 老人=「高齢者」・・明確な基準は設けられていないようですが、 一般的には「65歳以上」だそうです。現在、日本の65歳以上の人口が3,625万人、 その中で働いている人は914万人!改めてこの数字を眺めてみると、 実に65歳以上の4人に1人が仕事をしていることになります。 老人=高齢者→隠居生活はまだまだ早いということなのです(・・隠居生活?これってもしかして死語?)。 我が社にも現在65歳以上の役員や社員がいます。 みんな毎日、頑張って普通に仕事しています。最高齢の私の父である相談役87歳を筆頭に 70歳台が5人、65歳以上の60歳台が2人・・ もちろんその人その人にあった働き方で元気な間は仕事をお願いしていますが、 私から見てもみんな元気なのです。我が社にも定年はありますが、 一年ごとにそれぞれの社員と話をして、継続するか退職して違う道へ進むかを 選んでもらっています。私が若い頃は60歳と聞くとホントにじじぃだなぁ 思っていましたが、今はまったく違うのです。健康年齢が格段にあがり、 60歳を過ぎてもたくさんの人が、元気に世の中で活躍しているのです。 いずれこの「高齢者」の定義も変わっていくのだと思いますが、かく言う私も 来月63歳になります。最近、体力的な衰えを感じつつも毎日、仕事や何やに追われ 時間の経過がえらい速く感じるようになっています。 とにかくこれからも元気なじじぃでいられるように、心と体の健康に気を付けて 頑張ろうと思います。正直このじじぃという言葉には抵抗はあるのですが・・ 現実には、れっきとした二人の孫のおじいちゃんなので、それはそれで素直に 受け入れようと思う。 今月はここまで書いてなかなか前に進まない。 原因は、書き始めようとすると次々にいろんなことが起こって話題が定まらないのです。 自民党総裁選、大谷翔平前人未到の50/50達成、奥能登の豪雨災害、大の里大関昇進・・ ついでに「虎に翼」がとうとう終わる! 奥能登の豪雨災害と大谷翔平を並べては不謹慎なのですが・・ 能登半島地震の復旧作業が少しずつ前に進んでいるところに、さらに追い打ちをかけるように 今回の奥能登の豪雨災害、どうして能登ばかりがと思いつつ 同じ石川県民として心からお見舞いを申し上げるとともに、現在も救出作業や復旧作業に あたられている方々に深く敬意を表します。 結局、我々にできることは経済支援しかないのかもしれませんが、能登半島地震からの 復興を含め、能登復活のためにこれからも何かのお役にたてればと思っています。 今日は9月23日です。大谷翔平は今日の時点で53/55、 大の里は25日の理事会で大関昇進が確実!・・奥能登はそれどころではないのですが、 せめてこの明るい話題で少しでも元気を出してほしいと思っています。 それにしても大谷翔平はこの記録をどこまで伸ばすのか?そもそもこの53/55・・ 本塁打と盗塁・・私の認識ではパワーがあるホームランバッターは体がどっしりしていて 足が遅い?この先入観は明らかに間違っているのです。気が早いのですが来季は二刀流復活・・ これだけわくわく楽しませてくれている大谷翔平に10年1,000億は 安すぎると思っているのは私だけでしょうか? ついでに「虎に翼」・・これまでのNHKの朝ドラにはあんまり興味がなく ほとんどスルーしていたのですが、恥ずかしながら?今回の「虎に翼」は結構観ています。 もちろん朝の時間帯は無理で、お昼も車内で観る以外は、週末のダイジェスト版を 観るしかないのですが・・。何がいいのかを細かく言い出すと、 来月のコラムまで行ってしまうのでやめますが、とにかく展開がおもしろい、 時代背景をうまく表現している、登場する人たちがみんなキャラ立ちしている、 題材が真面目な法曹界を取り上げてシリアスだが、女性中心で全体的に温かい・・ まあ並べてみるとまだまだあるのですが、おそらくいつもは朝ドラを観ていない人も 観ているのではないだろうかと思っていたら、私が尊敬する某電気工事会社の会長も この「虎に翼」に釘付けと聞いて思わず笑ってしまいました。 来月になってもしばらくは「とらつばロス」の話題が続くのだろう。 新社屋で業務を開始して1か月ちょっとが過ぎました。 現在、旧社屋の解体工事と外構工事が進められています。少しずつですが、 新社屋の雰囲気にも慣れてきましたが、まだまだこれからです! 我々の目的である大切なお客さまに喜んでいただけるいい仕事、いい製品づくりをするために、 次の時代を見据えた働き方を考え、新しいことに挑戦していく大事な時期なのです。 それぞれが考えてやってみる、そしてまた考える!気が付いたら前進しているのです。 そんなことを考えながら、来月14日に感謝の集いを開かせていただきます。 どうか宜しくお願いします。 来月、10年ぶりに我が社のホームページが一新されます。 引き続きこの拙い社長コラムも書き続けますので懲りずにお付き合いください。 結局、今月も長くなってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年8月号「新社屋始動!!」
今年の夏はパリオリンピックでの日本人選手のメダルラッシュや夏の甲子園、 そして全国各地で夏祭りやイベントが繰り広げられ、例年以上に熱く盛り上がりました。 唯一、不満があるとすると、我がタイガースがじりじりと首位から引き離されて 何とかCS圏内に留まっているということです。去年の勢いはいったいどこへ行ったのか?? そんな中、8月9日から新社屋への引っ越しが始まり、お陰さまで世の中のお盆休みの間に 大まかな引っ越しは完了しました。数か月前からみんなで断捨離を始め、 溜まりに溜まった書類やなんやをほとんど捨てて、引っ越しの準備をしてきたのですが、 実際にやってみると想定外のことがどんどん起こって、ホントに大変でした。 私もできるだけ自分のものは自分で!と思っていましたが、 結局は若手社員に大半を運んでもらいました。ガンコ暑い中、汗だくになって頑張ってくれた 社員の皆さんに心から感謝しています。そして暫定的ではありますが、 お盆休み明けの8月19日から新社屋での業務が始まりました。 まだまだ片付いていませんが、当分落ち着くまでは仕事と片付けの二刀流です。 そして長い間お世話になった旧社屋の解体工事や外構工事が始まり、 予定通り進めば11月末にはすべての工事が完了します。そんな状態なのですが、 既に何名かの方々がご来社され新社屋を見ていかれました。 それぞれからお褒めの言葉をいただきましたが、何はともあれ 予告通り今月のコラムで新社屋の一部を写真で紹介したいと思います。 引っ越しは大変でしたが、社員の皆さんが喜んでくれている様子はホントに嬉しい限りです。 ただ、新社屋にはまだ全く馴染んでなくて、私を含め全社員が右往左往状態です。 そしていよいよこれからが本番!この新社屋で私を含めた全社員がどう変わっていくか。 我が社の良さやおもしろさを大切にしつつも、これまでの慣例ややり方を一度リセットして、 いいものは続け、今の時代に合わないものはどんどん変えてみる!そしてやってみてまた考える! 我々の目的はあくまで、お客様に喜んでいただけるいい仕事をして 世の中のお役に立つことなのです。まさに不易流行! そのことを忘れずに新社屋で始動するのです。必ず次の世代に繋がると信じています。 新社屋についてはおいおいまたこのコラムで紹介したいと思います。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年7月号「究極のサービス??」
タリーズの話題を書くのは久しぶりなのですが、今も毎週末欠かさず通っている タリーズ金沢入江店がまたやってくれました。 今月初旬の土曜の朝、いつものようにいつものロイヤルミルクティTallサイズを 買いにいきました。この日は珍しくお店は空いていたのですが、 いつものように注文してスマホに入っているタリーズカードで 支払いを済ませたのとほぼ同時くらいに 「ホットのロイヤルミルクティをご注文された方ぁ」って呼ばれました。 一瞬、違うお客さんだと思っていたら、顔見知りの店員さんが私のだと言うのです。 あまりの早さにびっくりして「なんでこんなに早いの?」と聞いたら その店員さんはニコニコ笑って「お客さまのクルマが駐車場に入ってきた時点で 作り始めていました!」と言うのです。一瞬びっくりして、私は 「もし、私が別のものを注文したらどうするの?」と聞いたら その店員さんは「それはあり得ないと思います!」と笑って言い切るのです。 これにはさすがに参りました。確かに私は、タリーズでロイヤルミルクティ以外の飲みものを 注文したことはなく、強いて言えばその日の体調によってサイズを変えているのですが それも最近はほぼTallサイズ。その日はたまたま私の前に他のお客さんがいなかった! クルマを停めた場所がカウンターの正面から見える位置だった! という二つの条件が重なったこともあるのですが、これはまさにお客さまファーストの対応。 そして何より名前も名乗ったこともない私が、ホットのロイヤルミルクティしか 飲まないこと、私がどのクルマに乗っているかをこの店員さんは ちゃんと覚えているということです。私もいろいろな方から常に先を読んで仕事しろ! と教えられてきましたが、これはちょっと読みすぎではないか? と思わないでもないのですが・・。 まあ!ここまでやられるとさらにタリーズ金沢入江店に通うしかないのです。 ちなみに現時点で金沢入江店での私の店舗内ランキングは8位!! 今月7日の夜に犀川大橋架橋100年をお祝いする「百寿祭(ももじゅさい)」が開催され、 犀川大橋は人人人で埋め尽くされていました。 私の記憶では犀川大橋自体を工事以外で全面通行止めにして ホコ天にしたのは初めてではないかと思います。 聞くところによると当日は15,000人の人が歩いていたそうです。 今回、国土交通省金沢河川国道事務所さんや、 金沢片町まちづくり会議・野町弥生地区商店街連盟などの地元の皆さん、 そして我が社も所属している日本橋梁建設協会など多くの方々のお世話で この「百寿祭」が開催されました。当日は犀川大橋中央に特設ステージが設けられ、 100周年記念プレートの除幕や輪島御陣乗太鼓、にし茶屋街の芸妓衆による 踊りの披露等々・・久しぶりにお祭り気分満載で、大変盛り上がっていました。 そして右岸側(片町側)と左岸側(野町側)のそれぞれの代表が 犀川大橋中央で握手をして、これからの犀川大橋の安全を祈願しました。 現在の犀川大橋は大正13年(1924年)に完成したもので、 当時の最先端の技術で造られたワーレントラス構造の橋梁です。 そして昭和42年(1967年)2月10日まで北陸鉄道の電車が この犀川大橋の上を走っていました。 私もかすかな記憶で最後の花電車を見たような気がします。 それから平成6年(1994年)に大規模補修をおこなって現在の姿になったのです。 ちなみに平成12年(2000年)には国の登録有形文化財に指定され、 犀川大橋は金沢市民にとって、なくてはならないシンボルになったのです。 これからも金沢の街が変わっていく様子を、この犀川大橋はずーっと 見守っていくのだと思います。犀川大橋架橋100年ということは 我が社が創業する10年前には犀川大橋が完成していたということなので・・ 改めて当時の技術レベルの高さに驚かされます。どうやって造ったんやろう~~? 私が初めてこの社長コラムを書いたのが、3年前の2021年8月! 今月でまる3年になります。 何とか頑張って毎月欠かさず書かせてもらったので、原稿はちょうど36本。 改めて3年前の原稿を読み返してみると内容は?? ちょうど東京オリンピックが無観客で開催されたことを書いていました。 個人的には内容がマンネリ化しないように心がけて、 思ったことをそのまま書かせてもらっているつもりなのですが、 改めて読み返してみると何となく偏っているような気がします。 ちなみにうちの相談役は平成10年(1998年)~平成30年(2018年)までの 20年間、毎月欠かさず「北都鉄工 経営の原理原則」を書き続け、 6年前に1冊の本にまとめました。20年で原稿は実に240本! 私がそこまで行くにはあと17年・・ いったい何歳まで書き続けなければいけないのだろうと思うと 気の遠くなる話なのですが、とにかく先のことはあんまり意識せず これからも毎月毎月思ったことや出来事を書き続けようと思います。 また皆さんからご意見やご批評をいただけると嬉しいです。 いよいよ今月末に新社屋が完成し、来月予定通り引っ越しをして 新社屋での業務が始まります。そのあと旧社屋を解体して 外構工事や付帯工事が始まり全体の完成は年末頃を予定しています。 長い間、私をはじめたくさんの人たちが楽しみにしていましたがいよいよ完成です! 来月のコラムは写真を中心にした新社屋特集?でも書こうかと思っています。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年6月号「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」
この大事な期末、締めの6月に不覚にもコロナに感染してしまいました。 これまでも際どい状況は何度かあったのですが、何とか切り抜けて これまで一度も感染していなかったのに、よりによってこの大事な時期に感染して 戦線離脱を余儀なくされました。会社や家族にも迷惑をかけてしまい申し訳なかったです。 どこで感染したかはこの際置いておいて、社内の申し合わせにより コロナ感染確定日から5日間、自宅待機。我が家からすでに嫁いだ娘が使っていた部屋に自主隔離して 4日半過ごしました。幸い症状は軽症で、最後まで発熱することなく 喉の痛みと咳が出る程度でした。コロナ禍になって4年半、これまでもたくさんの方々から 話を聞きましたが、いざ自分がその状況に直面すると いかにこの自主隔離が大変かということを今更ながら痛感しました。 もうすっかり話題から消えてしまいましたが、当初はコロナに感染すると 病院やホテルに2週間隔離されていたのです。パソコンやスマホ、テレビがあって 外部とのコミュニケーションは普通に取れるのですが、何にもしないで過ごすことが いかに苦痛であるか今回身に染みました。 もちろん重症化しなかったことは喜ばなければいけないのですが・・ コロナが5類になり、世の中は過度な対応はしなくなりましたが、 それでも我が国はまだまだ普通の風邪ではないのです。 当たり前のことなのですが、普通の風邪もインフルエンザもコロナも、 感染予防には規則正しい生活、適度な運動、美味しく食事を摂る、 笑顔で過ごして免疫力を上げる・・これに尽きるのです。 私がコロナに感染した時期がたまたま「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」の前週だったのですが、 何とか穴をあけずに社員の皆さんと一緒にこの「北都鉄工 創業90周年大感謝祭」に 参加できました。そもそもこの「・・大感謝祭」、ネーミングはいったい誰が付けたのか? 確かに今の北都鉄工があるのは、これまでもそして現在も 大切なお客さまのために頑張ってくれている社員みんなのお陰なのです。 社長である私や会社が社員の皆さんに感謝するのは当たり前のことなのですが 「・・大感謝祭」と銘打ってしまうと、そんじょそこらでは大感謝祭にならないのです。 今回の開催の趣旨は大きく4つ! ① 元気に90周年を迎えられたことに感謝して全社員でお祝いをする。 ② 長年にわたり北都鉄工で勤務され今日まで頑張ってこられた社員の皆さんへ 永年勤続表彰(40年以上・30年以上・20年以上)を授与する。 ③ この一年の間に北都鉄工に新たに加わってくれた仲間の歓迎会。 ④ 67年の長きにわたり北都鉄工の取締役を務めてきた私の父である 2代目社長 小池田康成が6月21日付で取締役を退任し、 相談役として今後も会社を見守っていくことになり、そのことへの感謝と慰労の気持ちを 全社員で表す。(・・+ 大抽選会) とにかく楽しい3時間でした。この3時間の受け止めかたは社員ひとりひとり違うと思いますが、 その模様は私の言葉よりこれらの写真が一番だと思うので是非ご覧ください。 壇上から社員のみんなのたくさんの笑顔を見て、この130人の社員とこれまで頑張って 礎を築いてくれた先人たちのお陰で、今の北都鉄工があるのだということを改めて実感しました。 誰ひとり欠けてはいけないのです。 そしてこれからも感謝の気持ちを忘れず、大事なお客さまに喜んでいただける いい仕事をしていくのです。何度も言いますが「不易流行」です。 次の10年に向けてこれからも大事なお客さまのために、 大切な社員と一緒に進化し続ける北都鉄工を目指していきます。 1月1日に能登半島地震が発生して大変な年明けになりましたが、 半年が経ち、我が社も決算月を迎え67期もたくさんの方々のお陰で なんとか締めることができそうです。7月から新しい期になり、 まずは新社屋への移行という大仕事が待っています。 「常に明るく前向きに!」を忘れずに68期もみんなで頑張ります。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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2024
短縮営業のお知らせ
6/21(金)は、 社内行事のため、14:30までの営業とさせていただきます。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年5月号「こどもの日」
5月5日は「こどもの日」「端午の節句」であります。 今更申し上げるまでもなく、男の子の健やかな成長と健康を願ってお祝いをする日です。 「端午」とは「最初の午(うま)の日」という意味で、 「節句」とは季節の変わり目のこと。午(うま)は五(ご)とも読めることから 5月5日が「端午の節句」として奈良時代以降に定着したそうです。 その後、江戸時代に入り、季節の変わり目に病気や災いを払う 「菖蒲(しょうぶ)」を飾るしきたりが、 武道や武勇を重んじる「尚武(しょうぶ)」と同じ読みから 次第に男の子のための行事になった・・そうです。冒頭からむずかしい話ですいません。 要は・・私が物心ついたときには既に、5月5日「こどもの日」は鯉のぼりを揚げて、 かしわ餅を食べる祝日だったのです。 近年、5月5日はゴールデンウイーク最終日で「こどもの日」というより Uターンラッシュとかゴールデンウイーク明けの「5月病」とかの話題が先行して、 「こどもの日」の行事そのものの話題が少なくなったような気がします。 金沢市内でも鯉のぼりが揚がっている光景をほとんど見なくなりました。 そんな中で、我が社を含め公私ともに大変お世話なっている 米沢電気工事さんの本社前に見事な鯉のぼりが揚がっておりました。 お聞きすると、米沢 寛 会長のご長男が生まれた時に購入して ご自宅の前に揚げていたそうですが、まわりにビルが増えご迷惑がかかるので、 会社の前で揚げることにしたそうです。きちんとした国家観を持ち、 君が代・日の丸や日本の伝統文化を大事にされている米沢 寛 会長らしい対応には いつもながら脱帽であります。 青空に気持ちよく泳ぐ鯉のぼりはなかなか新鮮でいい感じでした。 今年見逃した方は是非、来年ご覧になってはいかがでしょうか。 改めて調べてみると、全国各地で鯉のぼり祭りやイベントが開催させていて 壮観な光景を見ることができるようです。 石川県内でも珠洲市の大谷川鯉のぼり流しや、 金沢の浅野川の中に流す鯉流しが有名だそうです。 今年は震災だったのでなかなか観ることができなかったのですが、 来年は是非、私も観に行きたいと思っています。 5月5日といえば、ちょうど一年前の5月5日14時42分に 珠洲市で震度6強の地震が発生していたのです。 今年元旦の能登半島地震でそのことを忘れがちなのですが、 能登ではこの一年の間に大きな地震が二度発生して、甚大な被害に見舞われているのです。 能登半島地震発生から4か月が経ち、金沢以南にはたくさんの観光客が訪れるようになり 少しずつ日常を取り戻してきましたが、 能登にはまだまだ不自由な生活を強いられている方々がたくさんおいでになるのです。 だんだん地震の報道も減ってきたような気もするのですが、 能登の復興はまだ始まっていないのです。 今後、復旧から復興へフェーズが変わっていきますが、 我々はこれからも能登の支援を忘れず日々の仕事や経済活動にあたらなければいかないのです。 がんばろう能登!! 5月は一年のうちで一番天気が安定していて過ごしやすい月のはずなのですが、 今年はゴールデンウイーク明けから気温が上がったり下がったりで、 体調を崩していた人が案外いたようです。私も何となくすっきりしない日が続いていました。 そんな中、高田組さんをはじめたくさんの方々のお陰で、 新社屋建設工事は7月末竣工に向けてピッチが上がってきました。 内装工事も進み、ガラスもほぼ入り、車寄せの大屋根ブロックの社内溶接も終わり、 7月初めには防音シートも外れて全容が現れてくる感じです。 壁や床などの内装色も決め、机・椅子・棚などの選定も終わり、 いよいよ新しい社屋での業務開始が視野に入ってきました。 これからが本番です!この新社屋でこれからどんな働き方をするのか? すでに運用を始めているグループウエア(HCS)の活用はもちろんのこと ペーパーレス化への取り組み、そしてフリーアドレス導入へ向けたゾーニング・・。 管理本部からは新社屋で達成したい目標 ① 業務効率化 ② 部門間連携強化 ③ コミュニケーション促進 ④ 5S強化 ⑤ 快適な空間 ⑥ 来てもらえる会社に が示され具体的に動き出しています。 次の時代に向けてこれからどんどん変わっていきます。 社長の私でさえもこの流れの早さに戸惑うところもあるわけで、 社員の皆さんの中にも戸惑いや違和感がある人もいるのかもしれません。 なぜ今やるのか?何のためにやるのか?そのことをしっかり落とし込んで 取り組まなければなりません。世の中も加速度的に変わっていきます。 5年先を見据えると今のままでもモノづくりはできますが、 おそらく時代に取り残されていくのです。 しいては大切なお客さまに喜んでいただける仕事ができなくなるのです。 新しいことに挑戦するには勇気がいります。そんな中でいかに北都らしく変わっていくか、 我々が大切にしてきたことは絶対に忘れてはいけません。 創業90年、今回の新社屋建設が北都始まって以来の転換期なのです。 「不易流行」・・理念やミッションなど、 その会社の変えてはいけない「不易」の部分は守り続ける。 その一方で時代とともに変わっていく「流行」の部分は慣例や前例に縛られることなく 勇気をもって変えていかなければいけない。このことに尽きるのです。 来月は我が社の期末です。 今、いただいている大事な仕事をしっかり納めて今期を締めたいと思います。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
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社長コラム 2024年4月号「エイプリルフール」
「エープリルフール」という言葉を聞いて、どれだけの人がピン!とくるのだろうか? 今更なのですが「エープリルフール」の日本語訳は「四月馬鹿」。 毎年4月1日は嘘をついてもよいという日!起源の諸説はいろいろあるそうです。 イングランド王政復古の記念祭「オークアップルデー」に由来する説、 3世紀のインド春祭り説、古代ペルシャのお祭り「シスダベタール」が原型説、 1564年のフランス改暦説・・ 日本には大正時代に欧米から伝わった?、その昔に中国から伝わった?、 さらに「嘘は午前中だけ、午後はネタばらし」というルールもあったそうです。 とにかくこの「エープリルフール」はある程度のいたずらや嘘は許されるという 春の到来を祝う由緒正しきお祭りだったのです。 私が若い頃は、どんな嘘ならおもしろくてみんなに笑ってもらえるのかを 真剣に考えていたのですが、最近はめっきりそんな話はなくなりました。 今の若い人たちは「エープリルフール」という言葉すら知らないのかもしれません。 笑って許せる洒落た嘘ならおもしろいのですが、 それが段々エスカレートして人騒がせになり、さらに最近はフェイクニュースが 世の中を駆け巡りホントに寂しい限りです。いつから日本はこんなことになったのか? もう少し、余裕というか、遊び心がある寛容な世の中になってもいいのではないかと 思うのです。素敵な嘘?笑える嘘?・・改めて考えると実はむずかしいのです。 今年も新入社員5人を迎えました。 4月1日に部長職以上の役職者出席のもと入社式が執り行われました。 その様子はインスタや社内報に載っていますが、 現在の社屋での入社式はこれが最後です。 私も毎年、新入社員の前でご挨拶をさせてもらっているのですが、 ここで話すのもこれが最後かと思うと一抹の淋しさを感じました。 来年からはいよいよ新社屋での入社式です。今年の新入社員は例年にも増して 個性的な顔ぶれが揃ったようです。入社式での挨拶や 社内研修最終日の他己紹介?の発表の様子を見ていても、それぞれが特徴を出して 自分を表現している姿はなかなか頼もしいものがありました。 そして何より新入社員同士の仲がいい!これからたくさんの人と出会い、 たくさんの仕事にも出会います。その出会いをチャンスと捉え、 最大限に生かしてたくましく成長していってほしいのです。 これから待ち受けるたくさんの苦労を乗り越え、素晴らしい人生を歩んでくれることを 切に願っています。一年後の姿が楽しみです。頑張れ! 新年度に入り新社屋建設工事もギアが1段あがったようです。 まだ外側の防音シートは張られたままですが内装工事も着々と進み、 ガラスも一部張られ、外装の色も決めました。 皆さんが見えないところで7月末竣工に向けてまっしぐらです。 今後、机・椅子や事務用品をはじめ細かいものを発注し、内装の色を決めて、 防音シートが外され、正面車寄せの大屋根が登場して、 いよいよ皆さんの前に全容が現れます。ホントに楽しみです。 そしてこれからが新社屋建設の本題です。何度も言いますが、 この新社屋で次の世代に向けてどんな会社を目指すのか、 これからの時代に合わせた仕事のやり方をどう進めていくのか。 大切なお客さまは我々の進化を期待しているのです。 今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」。 私を含めて一人一人がいかに変われるかがこれからの北都の命運を握っているのです。 ・・長くなるのでこの続きは来月書きます。 3月末にタリーズコーヒージャパンから 「2023年度『店舗別ランキング』上位のお客さまに特典をご用意しております。」 というメールが届きました。 特典内容は上位30名の方々にタリーズデジタルカードを送ります!というものでした。 一年間頑張ってそのお店に通い続けた人へのご褒美です。 確認したら私はタリーズ金沢入江店で10位でした。 4~30位は「グリーンカード」(・・実物はまだ届いていません)。 この一年間もほぼ例外なく週末はタリーズ金沢入江店に通い ロイヤルミルクティを飲み続け、お店に支払ったお金は単純計算で50,000円以上。 この10位をどう評価するかは別にして、私の上に9人いることだけは確かなので 今年度もそのことをどこかで意識しながら、せっせとタリーズ金沢入江店へ通って 美味しいロイヤルミルクティを飲み続けることにします。 そもそも1位の人はタリーズ金沢入江店にいったいいくら支払っているのだろうか? 結局はまんまとタリーズの戦略に乗せられているのです。 個人的にこの近辺で一番きれいな桜は河北潟の通称「母恋街道の桜」だと思っています。 あの桜のトンネルは絶景です。ところが今年は能登半島地震で通行止めが続き今も通れません。 残念やなぁと思っておりましたら、たまたま偶然とってもきれいな桜を見つけました。 石川県庁の一般駐車場の間にある桜です。 もう散り始めていますが来年は是非、皆さんご覧ください。これはお勧めです! 来月は一年の中で一番天気が安定しているいい時期です。 GWが明けたらトップギアを入れて頑張って行きましょう! 結局、今月も長くなってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年3月号「北陸新幹線敦賀開業」
我が社の創業の地 金沢から現在の白山市に移転したのが39年前。 その当時、我が社の後ろを北陸新幹線が走ることを誰が想像しただろうか。現在、社屋や工場敷地内から北陸新幹線が走る姿を毎日見ることができます。 なかなか新鮮でいい眺めです。 3月16日に北陸新幹線が敦賀まで開業しました。 北陸新幹線が東京から金沢まで開業したのが2015年、あれから9年が経ち石川県内を通り抜けとうとう敦賀まで伸びました。 開業当日は敦賀や福井だけでなく、小松や加賀温泉も祝賀ムードに包まれ大変盛り上がっていました。 この区間の開業までには工事の遅延や能登半島地震の発生などたくさんの苦難があり、今回の開業は関係者にとっては感無量だったと思います。 これからこの敦賀開業がもたらす経済効果は計り知れないものがあります。 ただ・・確かに地元への経済効果は計り知れないのですが、利用する者の立場からすると関西や名古屋方面への利便性や時間短縮効果には いささか疑問符がつくような気がしています。 もちろん、この北陸新幹線の最終到達地は新大阪なので今の時点でどうこう言うのは時期尚早なのですが。 物心がついたころから大阪・京都は「雷鳥」、名古屋は「しらさぎ」に乗って乗り換えなしで往復していました。 時代とともに大阪・京都は「雷鳥」→「スーパー雷鳥」→「サンダーバード」、 名古屋は途中、米原での東海道新幹線乗り継ぎ専用特急「加越」も走ったという変遷を辿りましたが、 もう金沢駅で「サンダーバード」や「しらさぎ」に乗れないのかと思うといささか淋しいものがあります。 まあ、こんな感傷に浸っていても仕方ないので、とにかく敦賀で乗り換えて関西や名古屋へ行ってみようと思います。 差し当たり来月、大阪出張があるので乗ってみてまたコメントします。 実際、敦賀での乗り換えにどのくらい時間がかかるのか? 行きはいいのですが帰りはもう金沢駅止まりではないので寝過ごさないかいささか心配です。 今後、新大阪までの延伸については地下を通過する京都が大反対しているので、 計画を白紙に戻して敦賀から米原までつないで東海道新幹線に合流させたらどうかと思っているのは私だけでしょうか。 敦賀⇔米原は45㎞です。これなら私が生きている間に北陸新幹線で新大阪まで行けるような気がします。今後の展開に期待しています。 能登半島地震から3か月近くが経ちました。 まだたくさんの方々が避難生活をおくられ不自由な毎日を余儀なくされていますが、 能登は日を追うごとに少しずつ復旧しておりこれからさらに復旧の速度は上がっていくものと思われます。 そして今後は能登をどうするのか!どうあるべきか! 次の世代の人たちが、声をあげたくさんの知恵を出して復興に向けて動き出してほしいと思います。 これからが本当の意味での能登復興へのスタートです。 まだまだ先は長いのですがみんなで力を合わせて必ず能登を復活させるのです。 3月23日に金沢の金石港で1日限定の「出張輪島朝市in金石」が開催されました。 当日は輪島朝市組合から29店が出店し輪島朝市のシンボル、オレンジ色のテントがずらりと並び、 鮮魚や干物・刺身といった海産物や輪島塗の商品や雑貨などがたくさん売られていました。 能登半島地震で輪島朝市通りは壊滅状態になり、輪島朝市のお店の皆さんはそれぞれ避難生活を余儀なくされ仕事のめどがまったく立たなくなっていました。 そんな中、港つながりで地元金石やたくさんの皆さんのご尽力のお陰で1日限定ではあるものの朝市が開けたことは本当によかったと思います。 当日は朝からあいにくの雨模様でしたが朝市が閉店するお昼までの間に13,000人(・・大本営発表?)の人があの狭い金石の町に押し寄せたそうです。 実は私も仕事の合間に顔を出したのですが金石の町では見たことのないくらいの人で溢れていて到底、 朝市のテントまで辿り着ける状況ではありませんでした。 この模様は全国ニュースでも取り上げられましたが、改めて人の優しさや温かい気持ちを感じる光景でした。 今後はこの「出張輪島朝市」をいろいろなところで開催していただき、その積み重ねが能登復興に少しでも繋がればいいなぁと思います。 お世話いただいた地元金石の皆さんには改めて感謝と敬意を表します。 輪島朝市のおばちゃんのあの笑顔と涙がとても印象的でした。 今年の冬はエルニーニョ現象の影響で当初から暖冬!暖冬!の大合唱で、 ホントかなぁと思いながら毎日過ごしていました。 実際、この冬に自宅前で雪掻きをしたのは2回だけ!それもだーっと1時間程度。 会社からの自宅待機の連絡を一度も流すこともなく3月になりました。 このまま暖かい春がくるのだろうと思っていました・・が!3月中旬になって気温が急降下、 春分の日に雪が舞うというおおかた春とは思えない光景でした。 まあそんなこんなしているうちに今年の冬も終わり、年度末が近付いてきました。 能登半島地震で多少の被害はあったもののお陰さまで予定していた仕事はすべて無事に竣工して なんとか新年度を迎えることができそうです。 これも社員の皆さんやすべての関係者の方々のお陰と感謝しています。 4月には新たに新入社員5名を迎えます。 そして7月末にはいよいよ新社屋が完成します。 今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」です。 年明けから能登半島地震で一旦ブレーキがかかりましたが、 4月からギアを切り替え次の世代に向けて北都はどうあるべきか、 このタイミングで何をしなければいけないのかをみんなで考えていきたいと思います。 変わるときには当然、抵抗もあります。 そこを乗り越え固定観念を取っ払って さらに明るくおもしろい会社を目指して前に進んでいきます。 新年度からも宜しくお願いします。 ・・・と、ここまで書いてそろそろ管理本部にこの原稿を提出しようかと思ったところに 今年度、最後の珍客が登場。「ビーバー君」です! 何で「ビーバー君」が来社したのかは我が社のインスタをご覧ください。 とにかく、新年度からも手を緩めることなくさらにいい仕事をしていきます。 長くなりましたが今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年2月号「再始動の2月」
我が社はお陰さまで本年2月11日に創業90年を迎えることができました。 これもひと重にこれまでお支えいただいた大切なお客さま、 そして大事な社員やそのご家族をはじめ、我が社に関わるすべて方々のお陰と 心より感謝を申し上げます。私が会社に戻って36年が経過し、 社長を任されてから20年が経ちました。その間、ホントにいろいろありましたが 振り返ってみるとあっという間だったような気がします。 そう考えると我が社にとって、この90年は途方もない日々の積み重ねなのですが 気が付いたら90年が経っていたのかもしれません。 計算が間違っていなければ32,873日!この一日一日に意味があり、 幾多の困難を乗り越え、そして出会いや別れがあり、たくさんのお客さまや社員に恵まれ 今日の北都があるのです。何度も言いますが、感謝の言葉しか見つかりません。 今の北都があるのも先人達の血のにじむような努力があったからであり、 私を含め、今いる社員の皆さんはそのことを絶対に忘れてはいけないのです。 昨年より創業90周年に向けて、社内外での記念行事を計画し、準備を進めてきました。 これは単に90周年を迎えるお祝いではなく、この90周年を機に 「次世代に向けてのスタート」を切る大事なタイミングと位置づけていました。 これまで積み重ねてきたものをいかに次の世代に伝えていくか そしてその時代時代にあった北都をこれからどうやって築いていくかを 社員の皆さんと一緒に考え、前へ進めていくいい機会と考えていました。 そして能登半島地震です。1月のコラムにも書かせていただいた通り、 我が社は幸い大きな被害もなく年明けから通常業務を行っていますが、 被災した社員もおり、さらに大切なお客さまである石川県さんや北陸電力さんが 大変な状況になってしまいました。そのため1月はその対応に追われ、 県内の甚大な被害状況を鑑み、記念行事は一旦すべて白紙にすることを決めました。 私自身も記念行事を予定通り進めるマインドには到底なれませんでした。 当初、能登半島の被害状況や避難されている方々の様子を見ていると 復旧するには相当な時間を要すると思っていましたが、 震災当日から自衛隊・消防・警察・医療従事者・石川県をはじめとする 各自治体関係者・電力や建設関係者・そしてボランティア活動の皆さん・・ あげればきりがないのですが、本当にたくさんの方々のご尽力のお陰で 状況は少しずつ改善され、復旧もどんどん加速しています。 震災当初に比べるとまわりの状況は、少し落ち着いてきた感じがしています。 ただ、復興への道のりは長く、被災された方々が元の生活に戻るには まだまだ相当な時間がかかると思います。 1月はまだ余震が続き、新年互礼会や新年総会が軒並み中止になり 観光客も皆無で石川県内の経済はコロナ禍以上に冷え込んでしまいました。 2月に入り経済界からは「支援する側が元気に経済をまわさないと 被災地を支援することすらできなくなる。」という声があがり始め、 徐々にではありますが、いろんなことが動き始めました。 そのタイミングで一旦取りやめにしていた我が社の創業90周年の記念行事も 少し形を変えながら進めることにしました。 創業記念日2日前の2月9日(大安)に、今回制作した「北都鉄工 90年誌」と 会社からのささやかな感謝の品、そしてお祝いにたくさんいただいたリポビタンD 1本を 全社員に配りました。今回は私が各部署をまわり、社員ひとりひとりにお礼を言いながら 手渡しさせてもらいました。社員の皆さんもそれぞれ思いはあると思いますが、 私は北都の社長をやらせてもらってホントによかったなぁと思う瞬間でした。 たくさんの方々のお支えのお陰です。さらにというか今回まったくの思い付きで、 私の友人の「フルーツむらはた」の村端社長にお願いして 大好きなフルーツパフェ150個を会社に届けてもらいました。 当日、社内にいた人 全員に食べていただきました。 その様子はリアルタイムでインスタにもあがっていたようですが、 例外なく満面の笑みで完食だったそうです。 2月11日の感謝の集いが延期になり、結果的に社員の皆さんへ 感謝の気持ちを伝えるのが一番先になったことはホントによかったと思っています。 やっぱり社員あっての北都なのです。 今後、社員の皆さんとの90周年お祝いの会を6月に、 そして一旦取りやめにしていた「北都鉄工創業90周年 感謝の集い」を 10月に開催することを決めました。 改めて開催する感謝の集いは単に感謝の気持ちを皆さんにお伝えするだけでなく、 能登復興への応援の狼煙をあげ、震災にも負けない元気な北都の姿を 皆さんにお見せする機会にしたいと思っています。 1月は予期せぬ能登半島地震で一年のスタートの出鼻をくじかれましたが、 これからは能登復興と経済活動を両立させながら 県民一丸となって石川復活のために頑張らなければいけないのです。 まだまだ苦難は続きますが、2024が必ずいい年になることを信じて これからが今年の本当のスタートです。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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