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社長コラム
2025
社長コラム 2025年4月号「春が来た!アラブも来た!」
新年度になりました。今年の冬は寒い期間が長かったのと 3月に入ってもそれほど気温が上がらなかったので、美川の河津桜は例年より 2週間遅れで開花。4月に入ってソメイヨシノが開花しても、まだ美川の河津桜は 満開状態でした。毎年のことなのですが、あのなんとも言えない綺麗な桜を観ていると 心が癒され、新年度の新鮮な気持ちと相まって春の訪れを感じるのです。 いくつになってもこの感覚は変わらないのです。 4月1日、今年も新入社員3人を迎えて入社式が執り行われました。 新社屋になって初めての記念すべき入社式です。数年前から採用活動や 入社式の運営など、新入社員に関わることは小池田取締役や管理本部のメンバーに 全面的に任せてほとんど口出しはしないようにしています。 今回、新社屋へ移り、入社式のやり方も彼らなりに考えて全面リニューアル! 会場も広くなり、出席者もこれまでの役員と部長級以上の管理職から 課長級以上の管理職に枠を広げて、たくさんの社員の皆さんと新入社員を迎えることが できました。本当に嬉しい限りです。当日は例年以上に新鮮で 引き締まった雰囲気の中での入社式で、新入社員を含め出席者全員が 心地よい緊張感に包まれていました。私も顔は笑っていましたが いつになく緊張しているのが自分でもわかりました。 そんな中で今回の入社式から、新入社員ひとりひとりが登壇して 自己紹介を兼ねて、出席者全員の前で挨拶をしてもらうことになりました。 事前にそのことは聞いていて内心「大丈夫かなぁ」と心配していたのですが、 その心配はことごとく裏切られました。 話すことはおそらく事前に一生懸命考えてきたのだとは思いますが、 3人それぞれが一切原稿も見ず、自分のこれまでの生い立ちや、学校でやってきたこと 部活のこと、これからの抱負などを、自分の言葉で正面向いてきちんと話してくれました。 お見事!正直びっくりしました。それぞれ学校を卒業したばかりの3人が あの雰囲気のなかであの挨拶ができることに頼もしさすら感じました。 さらに新入社員研修最終日恒例の「他己紹介」でも、50人の先輩社員の前で それぞれ立派に発表してくれました。ちょっと褒めすぎかもしれませんが、 これから彼らがどう成長していくのか楽しみであり、彼らの人生の一部を預かった 我々の責任の重さを改めて痛感しています。 がんばれ新入社員!! 今月はもうひとつ、会社始まって以来の出来事がありました。 我が社にUAE(アラブ首長国連邦)のドバイから、製品の立会検査に アラブの方々8人が来社されました。守秘義務があり、製品や具体的な内容については ここでは書けませんが、県内にある自動搬送メーカーさんと共同で装置を製作して ドバイの工場に納める仕事を請けています。 最初に話があってからすでに8年以上経過しており、紆余曲折があって やっとここまで来たかぁという感じです。立会検査は5日間、 その間、商社の方々や通訳、それぞれの会社のスタッフを入れ総勢20人くらいの人が 国籍入り乱れて社内を行ったり来たりしていました。 数年前にアラブの方々が数人ちらっと来社されたことはあったのですが、 これだけの期間、大勢の方々が来社されることは初めてで正直、 大丈夫かなと心配していました。我が社の役割は立会検査そのものも大事なのですが、 ご来社された大勢の方々に、いかに気持ちよく立会検査や打ち合わせを おこなってもらえるか、その環境を提供できるかだと思っていました。 すでにインスタにもあげましたが、5日間のうちの2日間は 本格的なインド料理を提供している「Indian meal Tannir」のシェフにお越しいただき お昼にカレーやインド料理を作っていただきました。 これがこちらの想定以上にアラブの皆さんや、商社の方々に受けて ホントに喜んでいただき、2日間とも完食! 私は英語がまったく話せませんが、通訳を介して 「まさか、日本に来てこんな美味しいインド料理が食べられるとは思ってもいなかった。」 「もしよかったらドバイへ来てこの料理を作ってくれないか!」と言われたそうです。 心を込めてインド料理を作っていただいたシェフもこの言葉を聞いて 大変感激されていました。シェフは素敵な日本人女性の方です。 食事が大事だというのは万国共通で、これによって立会検査や打ち合わせでの お互いのコミュニケーションが取りやすくなり、大変有意義な5日間になったことは 言うまでもありません。 ・・・ただ実際、立会検査ではたくさんの厳しいご指摘や要望が出たそうで、 それらをすべてクリアしてドバイへ出荷する運びとなります。 我が社の社員を含めご担当いただいたすべての皆さん、本当にお疲れさまでした。 感謝です。そして何よりもうちの社員がほんのちょっとの時間でしたが、 アラブの皆さんと接する機会が持てたことは内需型の仕事中心の我が社にとっても、 大変いい経験になりました。ちなみに私は3回、ドバイの先方の会社へお伺いしましたが 一度も日本料理はでませんでした。 今月は開会した大阪・関西万博についても書きたかったのですが、 これは来月以降もう少し落ち着いた頃に書かせていただきます。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2025
社長コラム 2025年3月号「生涯現役」
先月のコラムにも書きましたが、今年の冬は暖冬ではなかったのです。 結局、3月に入っても気温が乱高下して首都圏でも雪が降りました。 昨年11月に金沢気象台が出した3か月予報には 「1月を中心に例年より大雪の備えが必要です。12月から2月にかけて 今シーズンの冬は降雪量が平年並みか多い予報。冬型の気圧配置が強まる時期があるため、 特に1月を中心に大雪となる可能性が例年よりも大きいので、注意が必要。 12月も後半ほど大雪の可能性がある。」と、なっていました。 結局12月も1月も比較的、穏やかな日が続き、一部の地域を除いて、 ほとんど雪が降りませんでした。一転2月に入り、全国各地で「大雪警報」「大雪特別警報」 「顕著な大雪に関する情報」が発令されて、県内もしばらく冷凍庫状態だったのは 記憶に新しいと思います。結果的に予報ははずれ?超高性能コンピューターでも 自然現象の予測は難しいのです。ところで、皆さんは「大雪」の定義をご存じでしょうか? 実はこの「大雪」には決まった定義はないそうです。 ウェザーニュースによる意識調査では30㎝積もったら「大雪」と答えた人が54%、 その中でも北陸地方は50㎝積もると「大雪」と認識している人が多かったそうです。 30㎝で大雪?? ちょうど2年前のコラムにも書かせていただいた、澁谷工業 秘書室勤務 開 甲子久(ひらき かしく)さんが3月19日をもって正式に退職されました。 退職日がちょうど101歳のお誕生日でした。 創業者 澁谷庚子智(かしち)社長から現在の五代目 澁谷英利社長までの 5人の歴代社長を支え、まさに澁谷工業さんの生き字引、スーパーレジェンドであります。 女学校を卒業され、石川県庁林務課に勤務されたのち、1945年に澁谷工業さんの 前身の澁谷商店さんに入社され、今年で在籍81年!! 人生80年時代にあっても、会社在籍81年がいかに凄いかなのです。 昨年、100歳のお誕生日には「男女共同参画社会づくりの推進に寄与し、 長年にわたり仕事や地域活動で顕著な功績を収めた」として石川県より、 女性活躍の模範となる「特別功労賞」を受賞され馳知事から直接、お受けになりました。 2年前にも書かせていただきましたが、開さんの逸話や伝説?は枚挙にいとわず、 私が知っているだけでも、このコラムに書ききれないほどあります。 そのスーパーレジェンドがとうとう引退の日を迎えたのです。 退職日前日には、澁谷工業さんで引退セレモニーが執り行われ、私も勝手に押しかけて 参加させていただきました。あくまで澁谷工業さんの社内のことなので 外部の私が詳細を述べることは差し控えますが、当日は澁谷工業さんの皆さんの 心温まるご対応、そして開さんに対する感謝の気持ちがにじみ出る とっても素敵な引退セレモニーでした。その皆さんからのお気持ちに 開さんは終始涙ぐんでおられました。社外の私でさえも、泣きそうになりました。 僭越ながら私も皆さんの前でご挨拶させていただく機会をいただいたのですが、 開さんのお顔を見ていたら、話したいことはたくさんあるのになかなか言葉が出てこず、 結局しどろもどろでした。そこでひとつだけ開さんとのことをご紹介すると、 ある時期、開さんからよくお電話をいただきました。決まって「小池田社長さん、今どちらかしら? 社長が小池田君をすぐ呼んでくれんか?とおっしゃっているの! 30分で来てもらえないかしら~」そんなときに限ってこちらは、 会社で会議していたり、来客中だったりで「すいませんが1時間後にお伺いします。」 と申し上げると「わかった!でもできるだけ30分くらいでおいでになってねぇ」 と言い残して、一方的に電話を切られるのです。 最初のうちは「え~なんや~こっちの都合もあるのに!」と思いながら クルマを飛ばしてお伺いしていましたが、途中からあのせっかちな澁谷弘利前社長のことを考え そのような表現をされていたことがわかり、私も開さんからの呼び出し要請には 最大限お応えするようにしていました。で!急いでお伺いすると、 話はだいたい5分くらいで終わるのです。社外の私でさえもそんな感じだったので、 社内の皆さんはもっと大変だったに違いないと、勝手に推察しています。 でも冷静に考えると、この対応は懸案事項を先延ばしせず、即断即決するという お手本だったのかもしれません。あのなんとも言えない明るく甲高い 開さんからのお電話が、もう鳴らないと思うとホントに淋しいのであります。 開さんはまさに澁谷工業さん一筋、見事な生涯現役を貫かれた 素敵でチャーミングなスーパーウーマンだったのです。 澁谷工業さんは引退されても人生は引退せず、これからも元気で お過ごしになられることを切に願っております。私の人生の中で、開 甲子久さんとの ご縁をいただいたことに心から感謝です。 こんなほっこりした部分もある年度末ですが、たくさんの皆さんのお陰で 今年度もなんとか無事に終われそうです。 4月1日には新入社員を3人迎え新たな気持ちでスタートします。 新年度も宜しくお願いします。 あっ!忘れるところでした。 今年度のタリーズ金沢入江店の私の店舗ランキングは7位! 昨年より4位ランクアップです。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2025
社長コラム 2025年2月号「建国記念の日」
1月はホントに穏やかな日が続いて、今年の冬はでっかい寒波も来ずに このまま春になるのではないかと内心思っていましたが、やはり甘くはなかったのです。 暦の上では春を告げる立春を境に超極寒の1週間になりました。 石川県内にも大雪警報が発令され、いきなり「最長寒波」襲来で金沢市内の積雪も 一時40㎝くらいになり、そのあとも繰り返し寒波がやってきて普段、 雪が降らない地域でも大雪になり、大変なことになっていました。 結局、今年の冬は暖冬ではなかったのです。 今さら言うまでもないのですが、2月11日は「建国記念の日」なのです。 恥ずかしいことに私はこのコラムを書くまでは2月11日は「建国記念日」だと思っていました。 「建国記念日」と「建国記念の日」の違いはなにか? 「はて??」というほどのことではないのですが・・。 改めて調べてみると「建国記念日」は「日本特有のものに限らず広く世界的、 一般的な建国の日を指し示すもの」となっておりました。 ちなみにアメリカは7月4日「独立記念日」、フランスは7月14日「フランス国民祭典」、 中国は10月1日「国慶節」、ドイツは10月3日「ドイツ統一の日」が建国記念日なのです。 言われてみれば確かにそうなのです。 それでは我が国の「建国記念の日」の祝日は・・・ 「建国をしのび国を愛し、国の発展を期するという国民が等しく抱いている感情を尊重して 1966年に国民の祝日とされた」となっていました。 もともとは日本の初代天皇である神武天皇が即位したとされる日で 「紀元節」と呼ばれる建国を祝う祝日だったそうです。 それが戦後、一旦廃止され1966年にようやく「建国記念の日」として復活。 他国のようにその日に何かがあって「建国記念の日」を制定したのではなく、 今われわれが当たり前に暮らせていることに感謝しつつ、日本の生い立ちや 日本の素敵なところを見つめ直す日なのかもしれません。 その2月11日「建国記念の日」が我が社の創業記念日です。 創業者 小池田小平が何故この日を創業記念日に選んだのか? おそらく日本の始まりである「紀元節」の日に合わせて、日本の国と同様に 北都鉄工も長く続いて行ってほしいとの願いを込めてこの日に決めたのだと思います。 お陰さまで我が社も今年の2月11日で91年目を迎えました。 たくさんの先人の方々や多くのお客様に支えられて、今いる社員のみんなと 創業者の想いを繋げていることに改めて感謝であります。 これからもこの創業者の想いをしっかり伝えていくことが、社長である私の 大事な役割のひとつだと思っています。去年の今ごろは能登半島地震の復旧対応の中、 90周年や新社屋建設をどうしていくか思い悩んでいましたが、 今年はしっかり腰を据えて、次の世代にどう繋げていくかを決める 大事なスタートの年だと思っています。 1月31日に「北都鉄工共力会」の総会・講演会・懇親会が開かれ 70名の方々に参加いただきました。コロナ禍や90周年があり、 総会→講演会→懇親会のフルスペックで開催するのは何年ぶりでしょうか? 今年は講演会の講師に参議院議員の有村治子さんをお呼びして 「国家 国柄 国民性」という演題でお話いただきました。 有村治子さんは金沢生まれ滋賀県育ち、金沢の内田病院で生まれました。 この内田病院は、その時代一世を風靡した産婦人科で2万人が同じ分娩台で生まれたそうです。 その中の一人が有村治子さん、そして私の従兄の岡田直樹さんも同じ分娩台で生まれました。 残念ながら、私は別の病院だったのですが、私の妹二人も内田病院でした。 さらに有村治子さんの父上と岡田直樹さんの父上は金沢菫台高校(現在の金沢商業高校)の 同級生で、軟式テニスでダブルスを組みインターハイにも出場したそうです。 そんなお二人の子供がなんの因果か現在、それぞれ参議院議員として日本のために頑張っている! すごいご縁ですよね。有村治子さんは初代 女性活躍担当大臣などを歴任され現在4期目です。 私が初めて有村治子さんにお会いしたのは24年前の最初の選挙の時に、 岡田直樹さんの父上ともうお一人の同級生だった北川晶夫さん(菱機工業前会長)のご紹介でした。 最初の印象は礼儀正しく、明るく元気できちんと人の顔を見て話ができる素敵な女性! そんな有村治子さんとこんなに長くご縁が続くとはその時は全く想像もつきませんでした。 しっかりした国家観や倫理観を持ち、我々日本人が忘れてはいけない相手を敬う気持ち、 感謝の心、そして筋を通して自分の信念を曲げない、ばりばりの硬派なのですが 笑顔が素敵で明るくとっても魅力的な女性なのです。もちろん立派な家庭人でもありますし、 参議院には欠かせないひとりだと思っています。 これからもっと広いフィールドでの活躍を期待しています。 ちなみに今年の7月には参議院議員選挙が予定されています。 毎月、月末に「HOKUTO CAFÉ」で外部のお店の方にお願いして、 お昼休みに食事やスイーツを販売しています。今月で4回目になります。 運営やお店の選定などまだまだ試行錯誤のところはあるのですが、「HOKUTO CAFÉ」を 有効利用しながら、少しでも社員のみんなに喜んでもらえるようにと思っています。 管理本部のメンバーはゆくゆくは外部の方にもと考えているようですが、 クリアしなきゃいけない問題がたくさんあるので、もうしばらく時間がかかると思います。 ちなみに今月は金石の名店「そらみそ」のおにぎり2個+港町のめった汁セットです。 数量限定だったのでもちろん完売でした。来月は何が登場するのでしょうか? 寒い寒い冬ももうすぐ終わりです。早くあの綺麗な桜が見たい気持ちと 花粉症の憂鬱な気持ちが入り混じっています。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2025
社長コラム 2025年1月号「2025 始動」
去年の今ごろは能登半島地震の復旧対応の毎日で、互礼会や新年会は軒並み中止、 いろいろ制約がある中で何とか業務をおこなっていたように思います。 今年は能登復興元年で、能登はまだまだ元の状態ではありませんが、経済活動はほぼ通常に戻り、 年明けから互礼会や新年会は例年通りにおこなわれました。 そして新年のあいさつ回りも例年通りできました。 普通に穏やかな新年を迎えられることがいかに幸せかと言うことを、改めて痛感させられる 年明けです。元旦の尾山神社の長蛇の列、イオンモール白山の満杯の駐車場、 金沢駅の大混雑・・・あの光景が去年は普通ではなったのです。 ちなみに私は今年の元旦も16時10分に去年と同じ、イオンモール白山1階の スタバの前あたりにいました。自分の気持ちの中でリセットしたかったので、 心の中で黙とうしながら家族と一緒にうろうろしていました。 当然!何も起こらず、たくさんの家族連れが楽しそうに行きかう様子は平穏そのもの。 我が家の一年は元旦の朝、金沢神社→護国神社→地元新保本の神社へ初詣に行って始まります。 今年はいったいどんな年になるのか?まずは健康第一!社員や我が家を含めた そのご家族の皆さんが、心身ともに健康で一年を過ごせるようにと手を合わせ、 2025年のスタートです。 仕事始めからいろいろな方が「今年は巳年、蛇は脱皮して成長していく縁起のいい年である」と 言われていました。しかし世界へ目を向けると、超強権のドナルド・トランプ氏が 第47代アメリカ大統領に就任し、アメリカ第一主義を掲げ、次々に大統領令を発令して アメリカをはじめ世界は大混乱。韓国では尹錫悦大統領がいきなり戒厳令を発令して逮捕、 弾劾裁判。これが成長していく縁起のいい年のスタートなのだろうか?と 目を疑いたくなるようなことが起こっています。我が国も少数与党が野党にすり寄り、 本当に日本の将来のためになるのだろうかという法案が次々と提出されつつあります。 それぞれの国がお互いを思いやり、秩序を守り、平和であることが前提で、 そのうえで我々は仕事ができて暮らせているのです。そのことを忘れてはいけません。 こんな話題を年明けから書くとマインドが暗くなるのでもう止めます。 そんな中で我が社は今年、どんな考え方で一年仕事に取り組むのか? 今年の経営スローガンは『みんなが変わる!会社が変わる!』です。 昨年は能登半島地震が発生して大変なスタートでしたが、お陰さまで何とか創業90周年の 記念行事も開催することができました。さらに新社屋も完成し、無事引っ越しも終わり 新社屋での業務を開始しています。たくさんの方々から 「北都さん、立派な社屋を建てて、ホントによくなったよね。」と言われました。 本当にありがたいことです。ただ・・中身はまだまだだと思っています。 せっかくこんな立派な作品を作っていただいたので、この作品をもっともっと 素敵に生かせる仕事をみんなでやるのです。今年の経営方針にも書きましたが 我々が目指すのは「本当の意味でお客さまに喜んでいただける仕事をやる会社! お客さまに可愛がっていただける社員がいる会社!そしてお客さまや世の中から 選んでもらえる会社!」なのです。手前味噌ですが、我が社は私も含めて、 明るく元気な会社だと思っています。今回の新社屋建設を機にさらにバージョンアップしていく、 5Sをレベルアップしていく、そしてそのことを次の世代にきちんと繋げていく、 今年はまずここからだと思っています。すでに年明けから、いろいろ試行錯誤で動いています。 我々の目指すものをしっかり頭に置いて、まずはやってみる!そしてまた考える! その繰り返しで、気が付いたら我々は成長し、北都はさらにおもしろい会社に 変わっていくのだと思っています。そのことがあって初めて、人や仕事のご縁に巡り合えるのです。 いかさか前のめり気味の固い話になりましたが、年の初めということでどうかお許しください。 年明けに変えたことの一つが毎月の誕生会の運用です。 私が社長になってからずーっと毎月、お誕生日の社員の皆さんと誕生会と称して 美味しいお弁当を取って、一緒に食べていました。最初がいつだったかは忘れましたが 私が社長になった時からのはずなので21年前?話題満載で会話が盛り上がる月もあれば、 みんな黙々とお弁当を食べて話題を探すのに苦労した月もありました。 たぶん社員の皆さんの中には気が進まない人もいたのかもしれません。 それでもひとりひとりの顔と名前が確認でき、さらに近況も聞けたので、私にとっては 大切な時間でした。しかしコロナ禍になり、集ってご飯を食べること自体がNGになり、 誕生会そのものは中止にしてお弁当だけを毎月お配りしていました。 コロナ禍も落ち着き、そろそろ再開しようかどうしようかと思っている時に 「業務上、社外で仕事をしていて何年も誕生会に出ていない社員がいる。 これは不平等ではないか?」という声が私の耳に入り、言われてみればその通りで 個人的には残念なのですが、誕生会もお弁当をお配りするのも一旦取りやめにしました。 その代わりに今月からお誕生日の社員の皆さんには、私がこよなく愛している タリーズのロイヤルミルクティを飲んでいただくことにしました。 それぞれの皆さんにタリーズのプリペイドカードをご用意して、これまでのクッキーと合わせて お渡しします。計算では4杯くらいは飲めるはずなので、これを機会にロイヤルミルクティの ファンが増えれば一石二鳥です。先日、タリーズ金沢入江店へ行って、店長さんに プリペイドカード136枚をお願いしたら、さすがにびっくりされていました。 確かに一度に136枚もプリペイドカードを買う人いませんよね?とにかく今年一年は タリーズで、皆さんの反応を見て来年どうするか考えようと思います。 まだロイヤルミルクティを飲んだことがない社員の皆さん是非!一度飲んでみてください。 ちなみに私の昨年のタリーズ金沢入江店の店舗ランキングは3ランクあがって8位でした。 結局、今月も長くなってしましたが、今年一年もこのコラムを頑張って書き続けますので、 懲りずにお付き合いいただければ嬉しいです。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年12月号「波乱万丈!激動の一年」
早いもので今年も気が付いたらもう12月です。今年はどんな一年だったのか? 私や我が社にとっても一生忘れることのできない大変な一年だったことだけは確かです。 言葉で表現すると「危機」「混乱」「激動」「怒涛」・・いろんなことが起こりすぎて、 ひと言では表現できません。 今年は、元旦の能登半島地震に始まり、新社屋の竣工お披露目で終わる一年でした! 前半は震災対応、後半は我が社の90周年感謝の集いと新社屋建設工事・・ これに尽きるのですが、この話題は今年、コラムに何度も書かせていただきましたので 少し違った話から始めようと思います。 私は毎年この時期に、金沢医科大学病院で人間ドックの健診を受けています。 今年でなんと29年目になりました。そもそものきっかけは、29年前に交通事故で負傷した 左手の手術で入院したことでした。その時の入院期間は60日、まわりには仕事をしたくても 病気で入院治療して仕事ができない人がたくさんいて、普通に仕事ができることが いかに幸せかということを思い知らされました。 それ以来、一年も欠かさず毎年この時期に人間ドックに入っています。 最初は一人、もちろん自費。それが途中から仲間や義弟が加わり、 今では毎年、最大6人一緒に1泊して受診しています。 最近は会社の健康経営を推進する方針から、一部を負担してもらっていますが この健診は私にとっては欠かかすことのできないものなのです。 この時期に受診するのは、1年間の身体の成績をつけてもらい安心して新年を迎えるため。 29年前の34歳の時は当然ですが全く異常はなく健康体でした。 さすがに50歳を過ぎたところから、なんだかんだと指摘されるようになりその都度、 生活改善や薬での治療をして今日に至っています。 幸い今年も重篤なものは見つかりませんでしたが、何がでてきてもおかしくない年齢です。 来年も元気に仕事をするためにも、今まで以上にしっかり健康管理をすることを 心に誓って、今年も金沢医科大学病院をあとにしました。 そんな中で今年も言われたことは肥満?それも内蔵肥満のことです。 皆さんはご自分の一日に必要なカロリー、推定エネルギー必要量をご存じでしょうか? 日本医師会のサイトに載っていますが、私は2590kcalだそうです。 理論上これを超えると太る、超えないと痩せていく?みたいです。 皆さんはご自分の必要なカロリーを意識して毎日飲食をしていますか? 私はそんなことは全く気にせず食べたり飲んだりしています。 もともと少食なのですが、それでも甘いものは大好きで、夕食の量を減らしてでも そのあとにチョコやクッキーをばかばか食べていました。 金沢医科大学病院の主治医からは「それが一番ダメ!それをやめないと夜中に代謝されない糖が 体に溜まり、さらに内蔵肥満が加速して糖尿病になる!」と脅かされました。 そんなわけでその日以来、夕食後の間食は一切やめて、お茶だけにしています。 これで一年頑張ってみて来年またご報告させていただきます。 このコラムに書いた以上、夕食後の間食断ちは続けます!! ちなみに週末朝のタリーズロイヤルミルクティtallサイズ1杯178kcalは問題ない! と言われたので継続です。 とにかく心身ともに元気でいないと来年もいい仕事ができないのです。 12月19日に新社屋の竣工式とお披露目会を開催しました。 昨年7月12日に地鎮祭を執り行ってから、旧社屋解体工事や外構工事を含めた新社屋完成まで 17か月。五井建築研究所さんの設計で、髙田組さん、米沢電気工事さん、日栄商事さん、 金太さん、総合園芸さんの皆さんに大変立派な作品をつくっていただきました。 たくさんご苦労をおかけしました。何度も何度も言いますが、心から感謝であります。 すでにSNS等で新社屋の竣工式とお披露目会の様子はアップされていますが、 朝8時半に竣工式を執り行ったのち、10時半から16時の間に3回に分けて お披露目会を開催し、全部で130人ほどの方々に見ていただきました。 手前味噌ではありますが、今回の新社屋建設の経緯や意義、そして我が社が目指す 6つの目標( ①部門間連携強化 ②コミュニケーション促進 ③業務効率化 ④5S強化 ⑤快適な空間づくり ⑥来てもらえる会社に )などをうちの小池田取締役から 説明させていただいのちに、新社屋をご案内させていただきました。 皆さまからはたくさんのお褒めの言葉をいただきましたが、 今回の新社屋建設の本題はこれからなのです。どんなに立派な作品をつくっていただいても、 そこで仕事をする社員のみんなが気持ちを込めて使わなければ、 その作品は絶対に引き立たないのです。この新社屋という立派な作品の中で 全社員がこれから何をどう表現していくか?抽象的な言い回しですが、 要は我々の大切なお客さまに喜んでいただける仕事をするために、 さらに何をしなければいけないのかをこれから一緒に考えていこうと思います。 目指すはおもしろい会社、お客さまに喜んでいただける会社なのです。 長くなりますが今月はもう少しだけ書かせていただきます。 実は今回のお披露目会にわざわざご来社された方がもうお一人いらっしゃいます。 うちの相談役の高校の同級生で私のもう一人のおやじである森喜朗先生です。 森先生との関係は今さら申し上げる必要はないのですが、うちの相談役が大変お世話になった 森先生に是非この新社屋を見てもらいたいとご案内を差し上げたところ 「その日は人工透析もないので必ず行くぞ!」と言われ、その言葉どおり車椅子で元気に ご登場でした。たまたまご来社されたタイミングが2回目のお披露目会の時間にぶつかったので 皆さんびっくりされていましたが、我が社の社員やその場に出くわした方々に 笑顔で会釈をされていました。そして40年前に森先生に書いていただいた 「北都鉄工」の揮毫を彫った正面石碑の前でうちの相談役と満面の笑み?で写真を撮って 東京へ戻られました。もちろん二人の合言葉は「お互い90歳まで頑張るぞ!」です。 波乱万丈の一年でしたがいろいろ課題は残しつつもたくさんの方々のお陰で何とか終われそうです。 一年間本当にありがとうございました。来年もお客さまのことを第一に考えて仕事に取り組んでいきます。 来年も皆さまにとってさらに良い年になることをお祈りして 今年最後のコラムを締めたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年11月号「元伊勢三社」
今月もこのフレーズで書き始めます。 皆さん、「元伊勢三社」をご存じでしょうか? 「元伊勢三社」は京都府福知山市大江町にある「元伊勢内宮皇大神社」「元伊勢外宮豊受神社」 「天岩戸神社」を指します。言い伝えによれば、伊勢神宮にある天照大神の御神体を 大和から伊勢に移す際に一時お祀りしたとされ、伊勢神宮ゆかりのある神社で、 古来より深い森を有し、長い間信仰の対象とされてきたそうです。 ちなみに出雲大社―元伊勢三社―伊吹山―富士山が北緯35度22分~27分のラインに 一直線に並んでいるそうで、何でそうなっているのかは未だにわかっていないようです。 ここまでくるとかなりマニアックな話題なのでもうやめます。 とにかくそんな所へ今月3日に12年ぶりに家内と行ってきました。 目的は「元伊勢三社」の参詣だったのですが、とにかく歩く歩く! 特に「元伊勢内宮皇大神社」は参道が300mあって、上り200段の自然石の階段坂道。 12年前にお参りした時はそれほどでもなかったのですが、 今回は途中で息があがり休み休み歩いて、やっと「元伊勢内宮皇大神社」に辿り着きました。 そしてさらにそこから300mほど奥に下ると「天岩戸神社」があります。 ここはここで凄い神社で最後は参道から5mほど岩場を登ったところにお社があり、 鎖を伝って一人ずつお参りするという、がんこマニアックで霊験あらたかなところであります。 私もこれまでいろいろな神社でお参りをさせていただきましたが、 この「元伊勢三社」は別格!空気も澄んでいてその場にいるだけで気持ちが落ち着き、 まさにパワースポットそのものでした。一般的にはあまり知られておらず、 今回も3連休中にもかかわらず参拝客はちらほら? そもそもあの階段や岩場は高齢者には厳しいので大半の方は当然、 三重の伊勢神宮へ参拝に行かれますよね。ここはJR福知山駅からクルマで 30分くらいのところにあるので、この話に興味のある方は是非一度お参りに行かれてみては どうでしょうか。絶対に心が洗われますよ! そもそも何で12年前に「元伊勢三社」をお参りしたのかというと、 実はそのすぐ近くに流れている五十鈴川に、橋というか歩行者専用の側道橋を 我が社で架けさせてもらいました。ここは近くにある美鈴小学校の子供たちが毎日通る 府道9号の通学路なのです。もともとこの五十鈴川には五十鈴川橋が架かっていましたが、 狭い車道しかなく過去に大きな人身事故もあり、地元からの強い要望もあって この五十鈴川橋側道橋の工事が事業化され、たまたま我が社が入札で落札をして 仕事をさせていただきました。 当時、この側道橋の完成を心待ちにしている美鈴小学校の子供たちと 現場見学会や写生会を開催し、その他にも地元の皆さんとの交流する場面もたくさんあり、 この側道橋が完成したときには地元の皆さんにも大変喜んでいただき 子供たちからもたくさんのお礼のお手紙をいただきました。 我が社もいろいろなところで橋を架けさせていただいているのですが、 私にとっても印象深い工事の一つでした。 そんなことを思い出しながら、五十鈴川橋側道橋を久しぶりに見てきました。 12年も経っているので汚れてはいましたが、橋そのものには全く損傷はなく 美鈴小学校の子供たちに毎日渡ってもらっているものと思っていました・・が! その毎日子供たちが通っているはずの美鈴小学校が廃校になっていました。 さすがにびっくりというか正直、ショックでした。 ご多分に漏れずこの地域にも過疎化の波が押し寄せて、子供の数が激減し3年前に廃校になり、 大江小学校に統合されました。廃校時の全校児童は18人だったそうです。 現実的には仕方のないことなのかもしれませんが、何とも切ない話なのです。 我々はその地域の方々の安全や利便性を高めるため、そしてその地域の方々に喜んでもらうために 仕事をさせてもらっているのですが、その地域そのものの過疎化が進み、 住んでいる方々が減っていく・・そんな現実を目の当たりにすると本当に複雑な思いになります。 それでも工事完成から廃校までの9年間、子供たちがあの側道橋を渡って 元気に美鈴小学校へ通ってくれていたのであれば、我々の仕事の意義はあったのだと思います。 あの時、手紙を書いてくれた6年生の皆さんは現在24歳? この広い日本のどこかで元気に頑張ってくれていることを願っています。 新社屋に引っ越して3か月ちょっと過ぎ、やっと少し雰囲気にも慣れてきたようです。 が!動き出してみると、いくつもの課題や問題点が見えてきました。 30点スタートなのでこれからです。社員のみんなと一緒になって一つずつ課題を解決しながら、 お客さまに喜んでいただける仕事をするお城を作っていこうと思います。 新社屋の全体工事も施工会社の皆さんのご尽力のお陰でほぼ予定通り12月初旬には竣工します。 そして12月19日(木)大安に竣工式を執り行い、お披露目をしたいと思っています。 近くにお越しの時は一声かけていただき、いつでもお立ち寄りください。 「HOKUTO カフェ」で美味しいお菓子とコーヒーをご用意してお待ちしています。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年10月号「10月14日」
皆さん、10月14日は何の日かご存じでしょうか? 一般的に知られているのは「鉄道の日」。 1872年10月14日に新橋駅と横浜駅の間を結んだ、日本初の鉄道が開通した日 それを記念して1922年に当時の鉄道省が「鉄道記念日」と制定したそうです。 このことはまあまあ知れている話なのですが・・ 改めてウィキペディアで調べてみると、10月14日に起こったことがあるわ!あるわ! まあ365分の1日なので当然といえば当然なのですが・・。 詳細はウィキペディアに載っているので興味のある方は一度ご覧ください。 身近な話としては1958年 東京タワーが竣工、1974年 長嶋茂雄の引退試合・・。 当然、この日に生まれた人もいるわけで、1867年 正岡子規、 1890年 アイゼンハワー米大統領、1970年 女優の永作博美、 さらに私の全くの独断で最も可愛い天気予報士の田中美都さん (・・NHK 午後LIVEニュースーンに出演中)も10月14日生まれです。 冒頭から長々と10月14日のことを書かせていただきましたが、 お察しの通り私も10月14日生まれで現在63歳です。 ちなみに私が所属している金沢東ロータリークラブには10月14日生まれが4人もいて 毎年欠かさずこの4人で誕生会を開いています。 今年の10月14日は私にとっても我が社にとっても特別な日になりました。 ホテル日航金沢で「北都鉄工 創業90周年 感謝の集い」を開かせていただきました。 このことについてはすでに新聞やSNS上で書いていただいているのですが、 私からも改めて少しご報告をさせていただこうと思います。 当日は我々主催者側も含めて281名の方々にご出席をいただきました。 森喜朗元内閣総理大臣、有村治子参議院議員、岡田直樹参議院議員、馳浩石川県知事、 村山卓金沢市長、田村敏和白山市長をはじめ、経済界からもたくさんの方々にご出席いただき お名前を挙げればきりがないのですが・・我が社が大変お世話になっている方々、ご本人に お越しいただきました。単に感謝の集いに花を添えていただくということだけではなく、 それぞれの方々に直接、感謝の気持ちをお伝えできたことは嬉しい限りでした。 特にうちの相談役の金沢二水高校の同級生で、私のもう一人の親代わりの森喜朗先生には 人工透析治療中で体調万全ではない中、車椅子でお越しいただき、 高校時代の話から初めて選挙に出たときのこと、そして私や我が社とのかかわり さらに政局の話まで、いつもとは全く違った雰囲気でお話をいただき 最後は「次の時代にむけて頑張れよ!」とエールをいただきました。 当初「挨拶は5分でお願いします!」だったのですが・・結局20分! 私も最初は時間を気にしながら聴いていたのですが、最後は聴き入ってしまい 改めて感謝の気持ちでいっぱいになりました。 マスコミや巷では未だに「政界のドン」とかいろいろ言われているようですが、 あのお話している森喜朗先生のお姿はそんなイメージはまったくなく、 穏やかでさりとて重厚感たっぷりの普通のおじいちゃん? うまく表現はできませんが、私が知っている森喜朗先生本来のお姿だったと思います。 森喜朗先生とうちの相談役は「90歳までは元気で頑張るぞ!!」と お互いにエールを送っているようですが、 おそらく90歳どころか次の100周年にも二人並んで座っているような気がします。 そんな二人の姿を今回たくさんの方々に見ていただけたことは、本当によかったと思っています。 今回の「90周年感謝の集い」のテーマは「これまでも 今も これからも」です。 相談役→私→取締役の息子と、ずーっと続いているたくさんの方々とのご縁に感謝をして、 これからもこのご縁が広がり続けていくことを願ってこの会を開かせていただきました。 特に今回は親子・ご兄弟でご出席いただいた方々が30組ほどおいでになり、 何代にもわたりお付き合いいただいていることに改めて感謝の気持ちでいっぱいでした。 手前味噌ですが・・当日は各テーブルで素敵な笑顔や歓声があがり、 たくさんの方々に楽しい時間を過ごしていただけたことは本当によかったと思っています。 さらに今回は少しだけ能登にもこだわり、この会を開くことによって微力ですが 能登復活の一助になったのであればさらに嬉しいのです。 感謝の会にもかかわらず、たくさんの方々から激励やエールをいただきました。 このことを励みに次の100年に向けて、さらにお客さまに喜んでいただける仕事をして、 全社員でもっともっとおもしろい会社を目指して頑張りますので これからも宜しくお願いします。 まだまだ書きたいことはあるのですが、長くなってしまうので続きはまた来月! 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年9月号「敬老の日」
先日、NHKの「チコちゃんに叱られる」を見ていたら「敬老の日はもともとなに?」 という問題がありました。はて??答えは・・ 兵庫県多可郡野間谷村(現在の多可町)で、1947年9月15日に 当時の門脇政夫村長が「老人を大切にし、年寄りの知恵を借りて村づくりをしましょう!」 と提唱して、村主催の「敬老会」を開催したのが「敬老の日」の始まりだと言われています。 それが兵庫県内全体に広がり、1954年に9月15日を国民の祝日として 「敬老の日」が制定されました。その後2003年から祝日法改正により 9月第3月曜日が「敬老の日」となったのです。 ちなみにこの多可町の八千代コミュニティプラザ前に「敬老の日提唱の地」と刻まれた 石碑もあるそうです。 皆さん、ご存じでしたか?? ところでこの敬老、老人とはいったい何歳以上の人を指すのでしょうか? 老人=「高齢者」・・明確な基準は設けられていないようですが、 一般的には「65歳以上」だそうです。現在、日本の65歳以上の人口が3,625万人、 その中で働いている人は914万人!改めてこの数字を眺めてみると、 実に65歳以上の4人に1人が仕事をしていることになります。 老人=高齢者→隠居生活はまだまだ早いということなのです(・・隠居生活?これってもしかして死語?)。 我が社にも現在65歳以上の役員や社員がいます。 みんな毎日、頑張って普通に仕事しています。最高齢の私の父である相談役87歳を筆頭に 70歳台が5人、65歳以上の60歳台が2人・・ もちろんその人その人にあった働き方で元気な間は仕事をお願いしていますが、 私から見てもみんな元気なのです。我が社にも定年はありますが、 一年ごとにそれぞれの社員と話をして、継続するか退職して違う道へ進むかを 選んでもらっています。私が若い頃は60歳と聞くとホントにじじぃだなぁ 思っていましたが、今はまったく違うのです。健康年齢が格段にあがり、 60歳を過ぎてもたくさんの人が、元気に世の中で活躍しているのです。 いずれこの「高齢者」の定義も変わっていくのだと思いますが、かく言う私も 来月63歳になります。最近、体力的な衰えを感じつつも毎日、仕事や何やに追われ 時間の経過がえらい速く感じるようになっています。 とにかくこれからも元気なじじぃでいられるように、心と体の健康に気を付けて 頑張ろうと思います。正直このじじぃという言葉には抵抗はあるのですが・・ 現実には、れっきとした二人の孫のおじいちゃんなので、それはそれで素直に 受け入れようと思う。 今月はここまで書いてなかなか前に進まない。 原因は、書き始めようとすると次々にいろんなことが起こって話題が定まらないのです。 自民党総裁選、大谷翔平前人未到の50/50達成、奥能登の豪雨災害、大の里大関昇進・・ ついでに「虎に翼」がとうとう終わる! 奥能登の豪雨災害と大谷翔平を並べては不謹慎なのですが・・ 能登半島地震の復旧作業が少しずつ前に進んでいるところに、さらに追い打ちをかけるように 今回の奥能登の豪雨災害、どうして能登ばかりがと思いつつ 同じ石川県民として心からお見舞いを申し上げるとともに、現在も救出作業や復旧作業に あたられている方々に深く敬意を表します。 結局、我々にできることは経済支援しかないのかもしれませんが、能登半島地震からの 復興を含め、能登復活のためにこれからも何かのお役にたてればと思っています。 今日は9月23日です。大谷翔平は今日の時点で53/55、 大の里は25日の理事会で大関昇進が確実!・・奥能登はそれどころではないのですが、 せめてこの明るい話題で少しでも元気を出してほしいと思っています。 それにしても大谷翔平はこの記録をどこまで伸ばすのか?そもそもこの53/55・・ 本塁打と盗塁・・私の認識ではパワーがあるホームランバッターは体がどっしりしていて 足が遅い?この先入観は明らかに間違っているのです。気が早いのですが来季は二刀流復活・・ これだけわくわく楽しませてくれている大谷翔平に10年1,000億は 安すぎると思っているのは私だけでしょうか? ついでに「虎に翼」・・これまでのNHKの朝ドラにはあんまり興味がなく ほとんどスルーしていたのですが、恥ずかしながら?今回の「虎に翼」は結構観ています。 もちろん朝の時間帯は無理で、お昼も車内で観る以外は、週末のダイジェスト版を 観るしかないのですが・・。何がいいのかを細かく言い出すと、 来月のコラムまで行ってしまうのでやめますが、とにかく展開がおもしろい、 時代背景をうまく表現している、登場する人たちがみんなキャラ立ちしている、 題材が真面目な法曹界を取り上げてシリアスだが、女性中心で全体的に温かい・・ まあ並べてみるとまだまだあるのですが、おそらくいつもは朝ドラを観ていない人も 観ているのではないだろうかと思っていたら、私が尊敬する某電気工事会社の会長も この「虎に翼」に釘付けと聞いて思わず笑ってしまいました。 来月になってもしばらくは「とらつばロス」の話題が続くのだろう。 新社屋で業務を開始して1か月ちょっとが過ぎました。 現在、旧社屋の解体工事と外構工事が進められています。少しずつですが、 新社屋の雰囲気にも慣れてきましたが、まだまだこれからです! 我々の目的である大切なお客さまに喜んでいただけるいい仕事、いい製品づくりをするために、 次の時代を見据えた働き方を考え、新しいことに挑戦していく大事な時期なのです。 それぞれが考えてやってみる、そしてまた考える!気が付いたら前進しているのです。 そんなことを考えながら、来月14日に感謝の集いを開かせていただきます。 どうか宜しくお願いします。 来月、10年ぶりに我が社のホームページが一新されます。 引き続きこの拙い社長コラムも書き続けますので懲りずにお付き合いください。 結局、今月も長くなってしまいました。最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年8月号「新社屋始動!!」
今年の夏はパリオリンピックでの日本人選手のメダルラッシュや夏の甲子園、 そして全国各地で夏祭りやイベントが繰り広げられ、例年以上に熱く盛り上がりました。 唯一、不満があるとすると、我がタイガースがじりじりと首位から引き離されて 何とかCS圏内に留まっているということです。去年の勢いはいったいどこへ行ったのか?? そんな中、8月9日から新社屋への引っ越しが始まり、お陰さまで世の中のお盆休みの間に 大まかな引っ越しは完了しました。数か月前からみんなで断捨離を始め、 溜まりに溜まった書類やなんやをほとんど捨てて、引っ越しの準備をしてきたのですが、 実際にやってみると想定外のことがどんどん起こって、ホントに大変でした。 私もできるだけ自分のものは自分で!と思っていましたが、 結局は若手社員に大半を運んでもらいました。ガンコ暑い中、汗だくになって頑張ってくれた 社員の皆さんに心から感謝しています。そして暫定的ではありますが、 お盆休み明けの8月19日から新社屋での業務が始まりました。 まだまだ片付いていませんが、当分落ち着くまでは仕事と片付けの二刀流です。 そして長い間お世話になった旧社屋の解体工事や外構工事が始まり、 予定通り進めば11月末にはすべての工事が完了します。そんな状態なのですが、 既に何名かの方々がご来社され新社屋を見ていかれました。 それぞれからお褒めの言葉をいただきましたが、何はともあれ 予告通り今月のコラムで新社屋の一部を写真で紹介したいと思います。 引っ越しは大変でしたが、社員の皆さんが喜んでくれている様子はホントに嬉しい限りです。 ただ、新社屋にはまだ全く馴染んでなくて、私を含め全社員が右往左往状態です。 そしていよいよこれからが本番!この新社屋で私を含めた全社員がどう変わっていくか。 我が社の良さやおもしろさを大切にしつつも、これまでの慣例ややり方を一度リセットして、 いいものは続け、今の時代に合わないものはどんどん変えてみる!そしてやってみてまた考える! 我々の目的はあくまで、お客様に喜んでいただけるいい仕事をして 世の中のお役に立つことなのです。まさに不易流行! そのことを忘れずに新社屋で始動するのです。必ず次の世代に繋がると信じています。 新社屋についてはおいおいまたこのコラムで紹介したいと思います。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年7月号「究極のサービス??」
タリーズの話題を書くのは久しぶりなのですが、今も毎週末欠かさず通っている タリーズ金沢入江店がまたやってくれました。 今月初旬の土曜の朝、いつものようにいつものロイヤルミルクティTallサイズを 買いにいきました。この日は珍しくお店は空いていたのですが、 いつものように注文してスマホに入っているタリーズカードで 支払いを済ませたのとほぼ同時くらいに 「ホットのロイヤルミルクティをご注文された方ぁ」って呼ばれました。 一瞬、違うお客さんだと思っていたら、顔見知りの店員さんが私のだと言うのです。 あまりの早さにびっくりして「なんでこんなに早いの?」と聞いたら その店員さんはニコニコ笑って「お客さまのクルマが駐車場に入ってきた時点で 作り始めていました!」と言うのです。一瞬びっくりして、私は 「もし、私が別のものを注文したらどうするの?」と聞いたら その店員さんは「それはあり得ないと思います!」と笑って言い切るのです。 これにはさすがに参りました。確かに私は、タリーズでロイヤルミルクティ以外の飲みものを 注文したことはなく、強いて言えばその日の体調によってサイズを変えているのですが それも最近はほぼTallサイズ。その日はたまたま私の前に他のお客さんがいなかった! クルマを停めた場所がカウンターの正面から見える位置だった! という二つの条件が重なったこともあるのですが、これはまさにお客さまファーストの対応。 そして何より名前も名乗ったこともない私が、ホットのロイヤルミルクティしか 飲まないこと、私がどのクルマに乗っているかをこの店員さんは ちゃんと覚えているということです。私もいろいろな方から常に先を読んで仕事しろ! と教えられてきましたが、これはちょっと読みすぎではないか? と思わないでもないのですが・・。 まあ!ここまでやられるとさらにタリーズ金沢入江店に通うしかないのです。 ちなみに現時点で金沢入江店での私の店舗内ランキングは8位!! 今月7日の夜に犀川大橋架橋100年をお祝いする「百寿祭(ももじゅさい)」が開催され、 犀川大橋は人人人で埋め尽くされていました。 私の記憶では犀川大橋自体を工事以外で全面通行止めにして ホコ天にしたのは初めてではないかと思います。 聞くところによると当日は15,000人の人が歩いていたそうです。 今回、国土交通省金沢河川国道事務所さんや、 金沢片町まちづくり会議・野町弥生地区商店街連盟などの地元の皆さん、 そして我が社も所属している日本橋梁建設協会など多くの方々のお世話で この「百寿祭」が開催されました。当日は犀川大橋中央に特設ステージが設けられ、 100周年記念プレートの除幕や輪島御陣乗太鼓、にし茶屋街の芸妓衆による 踊りの披露等々・・久しぶりにお祭り気分満載で、大変盛り上がっていました。 そして右岸側(片町側)と左岸側(野町側)のそれぞれの代表が 犀川大橋中央で握手をして、これからの犀川大橋の安全を祈願しました。 現在の犀川大橋は大正13年(1924年)に完成したもので、 当時の最先端の技術で造られたワーレントラス構造の橋梁です。 そして昭和42年(1967年)2月10日まで北陸鉄道の電車が この犀川大橋の上を走っていました。 私もかすかな記憶で最後の花電車を見たような気がします。 それから平成6年(1994年)に大規模補修をおこなって現在の姿になったのです。 ちなみに平成12年(2000年)には国の登録有形文化財に指定され、 犀川大橋は金沢市民にとって、なくてはならないシンボルになったのです。 これからも金沢の街が変わっていく様子を、この犀川大橋はずーっと 見守っていくのだと思います。犀川大橋架橋100年ということは 我が社が創業する10年前には犀川大橋が完成していたということなので・・ 改めて当時の技術レベルの高さに驚かされます。どうやって造ったんやろう~~? 私が初めてこの社長コラムを書いたのが、3年前の2021年8月! 今月でまる3年になります。 何とか頑張って毎月欠かさず書かせてもらったので、原稿はちょうど36本。 改めて3年前の原稿を読み返してみると内容は?? ちょうど東京オリンピックが無観客で開催されたことを書いていました。 個人的には内容がマンネリ化しないように心がけて、 思ったことをそのまま書かせてもらっているつもりなのですが、 改めて読み返してみると何となく偏っているような気がします。 ちなみにうちの相談役は平成10年(1998年)~平成30年(2018年)までの 20年間、毎月欠かさず「北都鉄工 経営の原理原則」を書き続け、 6年前に1冊の本にまとめました。20年で原稿は実に240本! 私がそこまで行くにはあと17年・・ いったい何歳まで書き続けなければいけないのだろうと思うと 気の遠くなる話なのですが、とにかく先のことはあんまり意識せず これからも毎月毎月思ったことや出来事を書き続けようと思います。 また皆さんからご意見やご批評をいただけると嬉しいです。 いよいよ今月末に新社屋が完成し、来月予定通り引っ越しをして 新社屋での業務が始まります。そのあと旧社屋を解体して 外構工事や付帯工事が始まり全体の完成は年末頃を予定しています。 長い間、私をはじめたくさんの人たちが楽しみにしていましたがいよいよ完成です! 来月のコラムは写真を中心にした新社屋特集?でも書こうかと思っています。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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