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社長コラム
2024
社長コラム 2024年3月号「北陸新幹線敦賀開業」
我が社の創業の地 金沢から現在の白山市に移転したのが39年前。 その当時、我が社の後ろを北陸新幹線が走ることを誰が想像しただろうか。現在、社屋や工場敷地内から北陸新幹線が走る姿を毎日見ることができます。 なかなか新鮮でいい眺めです。 3月16日に北陸新幹線が敦賀まで開業しました。 北陸新幹線が東京から金沢まで開業したのが2015年、あれから9年が経ち石川県内を通り抜けとうとう敦賀まで伸びました。 開業当日は敦賀や福井だけでなく、小松や加賀温泉も祝賀ムードに包まれ大変盛り上がっていました。 この区間の開業までには工事の遅延や能登半島地震の発生などたくさんの苦難があり、今回の開業は関係者にとっては感無量だったと思います。 これからこの敦賀開業がもたらす経済効果は計り知れないものがあります。 ただ・・確かに地元への経済効果は計り知れないのですが、利用する者の立場からすると関西や名古屋方面への利便性や時間短縮効果には いささか疑問符がつくような気がしています。 もちろん、この北陸新幹線の最終到達地は新大阪なので今の時点でどうこう言うのは時期尚早なのですが。 物心がついたころから大阪・京都は「雷鳥」、名古屋は「しらさぎ」に乗って乗り換えなしで往復していました。 時代とともに大阪・京都は「雷鳥」→「スーパー雷鳥」→「サンダーバード」、 名古屋は途中、米原での東海道新幹線乗り継ぎ専用特急「加越」も走ったという変遷を辿りましたが、 もう金沢駅で「サンダーバード」や「しらさぎ」に乗れないのかと思うといささか淋しいものがあります。 まあ、こんな感傷に浸っていても仕方ないので、とにかく敦賀で乗り換えて関西や名古屋へ行ってみようと思います。 差し当たり来月、大阪出張があるので乗ってみてまたコメントします。 実際、敦賀での乗り換えにどのくらい時間がかかるのか? 行きはいいのですが帰りはもう金沢駅止まりではないので寝過ごさないかいささか心配です。 今後、新大阪までの延伸については地下を通過する京都が大反対しているので、 計画を白紙に戻して敦賀から米原までつないで東海道新幹線に合流させたらどうかと思っているのは私だけでしょうか。 敦賀⇔米原は45㎞です。これなら私が生きている間に北陸新幹線で新大阪まで行けるような気がします。今後の展開に期待しています。 能登半島地震から3か月近くが経ちました。 まだたくさんの方々が避難生活をおくられ不自由な毎日を余儀なくされていますが、 能登は日を追うごとに少しずつ復旧しておりこれからさらに復旧の速度は上がっていくものと思われます。 そして今後は能登をどうするのか!どうあるべきか! 次の世代の人たちが、声をあげたくさんの知恵を出して復興に向けて動き出してほしいと思います。 これからが本当の意味での能登復興へのスタートです。 まだまだ先は長いのですがみんなで力を合わせて必ず能登を復活させるのです。 3月23日に金沢の金石港で1日限定の「出張輪島朝市in金石」が開催されました。 当日は輪島朝市組合から29店が出店し輪島朝市のシンボル、オレンジ色のテントがずらりと並び、 鮮魚や干物・刺身といった海産物や輪島塗の商品や雑貨などがたくさん売られていました。 能登半島地震で輪島朝市通りは壊滅状態になり、輪島朝市のお店の皆さんはそれぞれ避難生活を余儀なくされ仕事のめどがまったく立たなくなっていました。 そんな中、港つながりで地元金石やたくさんの皆さんのご尽力のお陰で1日限定ではあるものの朝市が開けたことは本当によかったと思います。 当日は朝からあいにくの雨模様でしたが朝市が閉店するお昼までの間に13,000人(・・大本営発表?)の人があの狭い金石の町に押し寄せたそうです。 実は私も仕事の合間に顔を出したのですが金石の町では見たことのないくらいの人で溢れていて到底、 朝市のテントまで辿り着ける状況ではありませんでした。 この模様は全国ニュースでも取り上げられましたが、改めて人の優しさや温かい気持ちを感じる光景でした。 今後はこの「出張輪島朝市」をいろいろなところで開催していただき、その積み重ねが能登復興に少しでも繋がればいいなぁと思います。 お世話いただいた地元金石の皆さんには改めて感謝と敬意を表します。 輪島朝市のおばちゃんのあの笑顔と涙がとても印象的でした。 今年の冬はエルニーニョ現象の影響で当初から暖冬!暖冬!の大合唱で、 ホントかなぁと思いながら毎日過ごしていました。 実際、この冬に自宅前で雪掻きをしたのは2回だけ!それもだーっと1時間程度。 会社からの自宅待機の連絡を一度も流すこともなく3月になりました。 このまま暖かい春がくるのだろうと思っていました・・が!3月中旬になって気温が急降下、 春分の日に雪が舞うというおおかた春とは思えない光景でした。 まあそんなこんなしているうちに今年の冬も終わり、年度末が近付いてきました。 能登半島地震で多少の被害はあったもののお陰さまで予定していた仕事はすべて無事に竣工して なんとか新年度を迎えることができそうです。 これも社員の皆さんやすべての関係者の方々のお陰と感謝しています。 4月には新たに新入社員5名を迎えます。 そして7月末にはいよいよ新社屋が完成します。 今年の経営スローガンは「みんなで変わる!」です。 年明けから能登半島地震で一旦ブレーキがかかりましたが、 4月からギアを切り替え次の世代に向けて北都はどうあるべきか、 このタイミングで何をしなければいけないのかをみんなで考えていきたいと思います。 変わるときには当然、抵抗もあります。 そこを乗り越え固定観念を取っ払って さらに明るくおもしろい会社を目指して前に進んでいきます。 新年度からも宜しくお願いします。 ・・・と、ここまで書いてそろそろ管理本部にこの原稿を提出しようかと思ったところに 今年度、最後の珍客が登場。「ビーバー君」です! 何で「ビーバー君」が来社したのかは我が社のインスタをご覧ください。 とにかく、新年度からも手を緩めることなくさらにいい仕事をしていきます。 長くなりましたが今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年2月号「再始動の2月」
我が社はお陰さまで本年2月11日に創業90年を迎えることができました。 これもひと重にこれまでお支えいただいた大切なお客さま、 そして大事な社員やそのご家族をはじめ、我が社に関わるすべて方々のお陰と 心より感謝を申し上げます。私が会社に戻って36年が経過し、 社長を任されてから20年が経ちました。その間、ホントにいろいろありましたが 振り返ってみるとあっという間だったような気がします。 そう考えると我が社にとって、この90年は途方もない日々の積み重ねなのですが 気が付いたら90年が経っていたのかもしれません。 計算が間違っていなければ32,873日!この一日一日に意味があり、 幾多の困難を乗り越え、そして出会いや別れがあり、たくさんのお客さまや社員に恵まれ 今日の北都があるのです。何度も言いますが、感謝の言葉しか見つかりません。 今の北都があるのも先人達の血のにじむような努力があったからであり、 私を含め、今いる社員の皆さんはそのことを絶対に忘れてはいけないのです。 昨年より創業90周年に向けて、社内外での記念行事を計画し、準備を進めてきました。 これは単に90周年を迎えるお祝いではなく、この90周年を機に 「次世代に向けてのスタート」を切る大事なタイミングと位置づけていました。 これまで積み重ねてきたものをいかに次の世代に伝えていくか そしてその時代時代にあった北都をこれからどうやって築いていくかを 社員の皆さんと一緒に考え、前へ進めていくいい機会と考えていました。 そして能登半島地震です。1月のコラムにも書かせていただいた通り、 我が社は幸い大きな被害もなく年明けから通常業務を行っていますが、 被災した社員もおり、さらに大切なお客さまである石川県さんや北陸電力さんが 大変な状況になってしまいました。そのため1月はその対応に追われ、 県内の甚大な被害状況を鑑み、記念行事は一旦すべて白紙にすることを決めました。 私自身も記念行事を予定通り進めるマインドには到底なれませんでした。 当初、能登半島の被害状況や避難されている方々の様子を見ていると 復旧するには相当な時間を要すると思っていましたが、 震災当日から自衛隊・消防・警察・医療従事者・石川県をはじめとする 各自治体関係者・電力や建設関係者・そしてボランティア活動の皆さん・・ あげればきりがないのですが、本当にたくさんの方々のご尽力のお陰で 状況は少しずつ改善され、復旧もどんどん加速しています。 震災当初に比べるとまわりの状況は、少し落ち着いてきた感じがしています。 ただ、復興への道のりは長く、被災された方々が元の生活に戻るには まだまだ相当な時間がかかると思います。 1月はまだ余震が続き、新年互礼会や新年総会が軒並み中止になり 観光客も皆無で石川県内の経済はコロナ禍以上に冷え込んでしまいました。 2月に入り経済界からは「支援する側が元気に経済をまわさないと 被災地を支援することすらできなくなる。」という声があがり始め、 徐々にではありますが、いろんなことが動き始めました。 そのタイミングで一旦取りやめにしていた我が社の創業90周年の記念行事も 少し形を変えながら進めることにしました。 創業記念日2日前の2月9日(大安)に、今回制作した「北都鉄工 90年誌」と 会社からのささやかな感謝の品、そしてお祝いにたくさんいただいたリポビタンD 1本を 全社員に配りました。今回は私が各部署をまわり、社員ひとりひとりにお礼を言いながら 手渡しさせてもらいました。社員の皆さんもそれぞれ思いはあると思いますが、 私は北都の社長をやらせてもらってホントによかったなぁと思う瞬間でした。 たくさんの方々のお支えのお陰です。さらにというか今回まったくの思い付きで、 私の友人の「フルーツむらはた」の村端社長にお願いして 大好きなフルーツパフェ150個を会社に届けてもらいました。 当日、社内にいた人 全員に食べていただきました。 その様子はリアルタイムでインスタにもあがっていたようですが、 例外なく満面の笑みで完食だったそうです。 2月11日の感謝の集いが延期になり、結果的に社員の皆さんへ 感謝の気持ちを伝えるのが一番先になったことはホントによかったと思っています。 やっぱり社員あっての北都なのです。 今後、社員の皆さんとの90周年お祝いの会を6月に、 そして一旦取りやめにしていた「北都鉄工創業90周年 感謝の集い」を 10月に開催することを決めました。 改めて開催する感謝の集いは単に感謝の気持ちを皆さんにお伝えするだけでなく、 能登復興への応援の狼煙をあげ、震災にも負けない元気な北都の姿を 皆さんにお見せする機会にしたいと思っています。 1月は予期せぬ能登半島地震で一年のスタートの出鼻をくじかれましたが、 これからは能登復興と経済活動を両立させながら 県民一丸となって石川復活のために頑張らなければいけないのです。 まだまだ苦難は続きますが、2024が必ずいい年になることを信じて これからが今年の本当のスタートです。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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2024
「橋梁の授業を行いました!」
本日石川高専の環境都市工学科より、43名の学生に当社までお越しいただき、橋梁についての授業を実施しました。 橋梁や技術者の仕事について座学でお話させていただいた後、工場内の製品や溶接の見学をしていただきました! 寒い中でしたが、遠い所わざわざお越しいただきありがとうございました。 そして、そして、高専生の皆さんのおかげでついにインスタグラムのフォロワー1000人を達成することができました!! ありがとう!!!
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社長コラム
2024
社長コラム 2024年1月号「能登半島地震」
その時、私は帰省中の次男と一緒に自宅近くのイオンモール白山の1階にいました。 たまたま時間が空いたので食材を買いに行って、1階のスーパーで支払いを済ませ 歩き出した時に、何の前触れもなくいきなりスマホの緊急地震速報がけたたましく鳴りました。 とっさに2人で屈んで目の前にあった柱につかまっていました。 一度目はそれなりに揺れたのですが、まわりは比較的冷静で棚から物が落ちることもなく、 しばらくして収まったので次男と歩きだしたところで再度、 緊急地震速報が鳴ってその場で屈んだら大きな揺れがきて収まるのを待っていました。 館内放送で「この建物は免震構造で全く心配ありません」が何度も流れていましたが イオンモール白山の1階は混乱することもなく、順番に出口へ人が流れていきました。 (・・あとから聞いたら2階・3階はガンコに揺れたそうです。) 正直、能登がそんな大ごとになっているとは思わず、 トイレを済ませて帰ろうとした頃から、県外の知人や仲間から電話やメールがどんどんきて、 ことの重大さに気づいて冷静さを失っていました。 慌てて自宅へ電話をかけて無事を確認してすぐに帰宅・・ そのあとはなるべく冷静でいようと思っていても全容がまったくわからず、 いろんなことが頭をよぎって自分でも混乱しているのがわかりました。 社員やそのご家族は大丈夫なのか?金沢市内にいたうちの家族は大丈夫か? 会社や製品は大丈夫か?仲間は?そして能登はどうなっているのか?・・ 幸い我が家はモノが棚から落ちた程度でしたが、 時間を追うごとに少しずつ被害状況が明らかになり、余震が続く中、 ただ茫然とニュースを見るしかありませんでした。 今回の能登半島地震でお亡くなりになられた方々に対し、 心よりご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。 そして一日も早い復旧・復興を願っています。 これが2024年のスタートです。 被害状況や復旧作業については報道にあるとおりで、 震災当日から自衛隊や消防、警察、医療従事者、建設関係者をはじめ 県内外からホントにたくさんの方々が能登に入られ、 休みなく救援活動や復旧作業にあたっていただいております。 極寒の中、ホントに頭の下がる思いであります。日を追うごとに少しずつ 状況は改善されつつありますが、まだまだ先は見えません。 同じ石川県内におりながら、一日も早い復旧をただただ祈ることしかできないのは ホントに申し訳ないのですが、そんな中でもう少し冷静になって これから我々に何ができるのかを考えていきます。 我が社の状況については、すでにSNS等でご報告させていただいた通り、 幸い大きな被害もなく1月5日より通常業務をおこなっております。 ただ、能登出身の社員をはじめ、そのご家族やご実家が被災した者もいて 会社としてできる限りの支援をしていきたいと思っています。 今年は我が社にとって節目の創業90周年の大事な年であります。 本来、創業日の本年2月11日に「感謝の集い」を開かせていただいて、 ご縁のある方々に直接感謝の気持ちをお伝えする予定でしたが、 今回の震災による被害状況や社会情勢を鑑みて、一旦取りやめとさせていただきました。 それに伴い、社員の皆さんとの創業90周年のお祝い会も一旦取りやめることにしました。 さらに今年はすでにご案内のとおり、新社屋の完成に伴う引っ越しをこの夏に控えております。 毎日毎日、同じ石川県内の被災地の状況を見たり聞いたりしていると 正直、我々だけがこんなお祝い事や新社屋への引っ越しをやっていいのだろうか? 普通に生活していていいのだろうか?と思うことがあります。 反面、なんでもかんでも自粛や中止にして経済活動を止めてしまったら、 いろいろなところに影響が出てきて、違う意味で疲弊し 元気な我々が被災地への支援もできなくなるのではないかと思うこともあります。 それぞれの立ち位置によって考え方、見方が違うので正直日々気持ちが揺れています。 今月はそんな気持ちの中で、どうすることが一番いいのかを毎日考えながら過ごしていました。 「これだ!」という明確な答えはまだ見つかっていませんが、 お亡くなりになられた、敬愛する澁谷工業の澁谷弘利前社長がいつもおっしゃられていた 「苦しいときこそ 常に明るく 前向きで」の言葉を思い出しながら、 これからもひとつひとつ判断していきたいと思います。 阪神淡路大震災・東日本大震災・熊本地震・・ 当時、未曽有の甚大な被害と多くの犠牲をはらいましたが 今はそれぞれ復興して前に進んでいます。 日本は強い国です。能登も必ず復活します! 今年の我が社の経営スローガンは「みんなで変わる」です。 創業90周年や新社屋建設を機に次の時代に向けて、 そしてこの能登半島地震を経験して北都らしく変わっていかなければなりません。 そんな意味でも今年は大事な年なのです。2月はさらに復旧が進みます。 笑顔を忘れず、希望を持って元気に先頭を切って走っていきますので 今年もどうか宜しくお願いします。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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2024
「令和6年度能登半島地震に関して」
2024年1月1日に発生しました「令和6年能登半島地震」により被災された方々には 心よりお見舞い申し上げます。 被災された方々の安全と被災地域の一刻も早い復旧をお祈り申し上げるとともに、 現在、救助・復旧・支援にあたられている全ての方々に敬意と感謝の意を表します。 弊社が所在する石川県白山市におきましては震度5弱を観測しましたが、 幸いにも社員並びにそのご家族については全員の無事が確認でき、 また社屋・工場・製品も全て無事であったため、1月5日より通常業務を開始いたしました。 橋梁やクレーンを生業とする弊社において どういった形で支援ができるのか現在模索中ではありますが、 まずは前を向いて目の前のことに精一杯取り組んでいく所存であります。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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社長コラム
2023
社長コラム 2023年12月号「こだわりの一年」
先月の休日に何気にNHK BSPをつけたら 「T H E TULIPファイナル福岡公演 TULIP50周年記念ファイナルツアー」 という番組をやっていました。思わずテレビに釘付けになり録画してしまいました。 今年2月のコラムでオフコースのことを書かせていただきましたが、 このチューリップもほぼ同年代! 1968年 結成で、厳密には結成して55年が経過しているはずです。 まあここまでくるとかなりマニアックな話題なので、 ある一定の年代以下の方々にはまったく興味のない話で申し訳ありません。 リーダーは財津和夫、一般的に知られている代表曲は「心の旅」や「サボテンの花」などです。 現在、財津和夫は75歳、メンバーの入れ替えもありましたが その他のメンバーもほとんどが70歳超え・・。 当然!観客席の平均年齢もライブツアーとしては極めて高いのです。 オフコースもそうでしたが、私の年齢よりはるかに上の方々が頑張って歌い続ける姿には なにか惹きつけられるものがあり、その楽曲にも感じるものがあります。 番組の最後に「今日がファイナルなのに追加公演が決まりましたぁ!」というので、 慌ててサイトを見たら来年3月31日に金沢歌劇座でツアーが組まれていました。 思わず、ローソンチケットで先行予約を申し込んだら見事に落選!! やはり金沢にも私以上にマニアックなファンがたくさんいることを改めて実感しました。 時代や世相が変わろうと自分たちの楽曲にこだわり50年以上も歌い続け、 さらにそれをずーっと支え続けるファンがいることはホントに凄いことだと思います。 (・・当然!そのファンの平均年齢も高いのです) 今月はこんな出だしなのですが・・ 今年一年のコラムを改めて読み返してみると、 結局、何かにこだわっている人にフォーカスしていることに気づきました。 オフコース・タリーズの副店長・能美のドイツパン職人・竹内製作所さんの竹内社長・ 全国の虎党・・そして今月のチューリップ・・。 それぞれのこだわりに何か惹きつけられるものがあり、 私自身もこの一年、自分なりにこだわって仕事をしてきた気がします。 今年は「次世代に向けてのスタート」のスローガンを意識して、 次につなげる会社づくりをどうすればいいのか・・ 会社の方向性、働きかた、会社の運営を考えながら 一大事業である新社屋の建設をスタートさせました。 おかげさまで新社屋建設工事は今のところ順調に進んでおり、 現在全面を防音シートに覆われていますが、この防音シートも来年5月には撤去され いよいよ全容が見えてきます。そして年明けからは今回の新社屋建設の大きな目的である、 次の世代を見据えた働きかたや会社づくりをどう進めていくかを具体的に考えなければいけません。 すでに進めているペーパレス化、北都方式のフリーアドレス・・ そしてなにより社員のみんなが新社屋で時代にあったいい仕事をする、 そして北都らしい明るい職場を新社屋でどう表現するかだと思っています。 新社屋建設を機にもっともっとたくさんの人たちが集まる おもしろい会社をみんなでつくるのです。 その為には私を含めこれまでの固定概念を一度取っ払って、『みんなで変わる!』。 そのことが必ず次につながり、新しい北都が見えてきます。 来年も大事なお客さまのため、大切な社員のため、ということにこだわって この新社屋建設事業をさらに進めていきます。工程はほぼ折り返しです。 7月末の完成が楽しみです。 今年もいろいろありました。 その中でも一番インパクトが強かったのはやはり長い間、 闘い続けたコロナがゴールデンウイークあけに5類に引き下げられたことです。 それを機に世の中がさらに動き出し、今まで止まっていたこと 我慢していたことが少しずつ元の形に戻ってきました。 そしてコロナ禍を乗り越えていい意味で変わってしまったこともたくさんあります。 コロナを経験し、ウクライナやイスラエルの戦争状態を目の当たりにすると、 平和で普通に暮らせていることがいかに幸せかということを我々は思い知らされました。 本当に感謝であります。 ・・と、ここまで書いたところで不覚にも風邪をひいてしまい 2日間寝込んでしまいました。社長になって20年、 一度も風邪で寝込むことはなかったのに、さらにコロナ禍でも戦線離脱することはなかったのに・・ と思いつつおとなしく自宅療養していました。 その時に今年の年頭に立てた自分の目標「ONOFFの切り替え!」のことを思い出していました。 毎日なんだかんだとやっているうちに時間が経ってしまい、 結局、仕事とプライベートの境がほとんどないまま今年も過ぎようとしています。 会社やまわりにご迷惑をおかけしましたが、 二日間寝込み体を休めたことで、その帳尻を少しでも合わせられたのではないか と思ったりもしています。 病気でOFFの時間を穴埋めするなんて本末転倒なので 来年こそは「ONOFFの切り替え」をしっかりして健康に気をつけ、 さらにいい仕事をしようと思います。 今年一年、私のつたないコラムにお付き合いいただき有難うございました。 皆さまにとって新しい年がさらに良い年になることをお祈りして今年も締めたいと思います。
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2023
冬の歩く広告塔稼働中
12月12日の北國新聞にも取り上げていただきましたが、 昨年からジャンパー、ポロシャツを導入し、年明けからは通年用の新しいユニフォームを着用します。 ユニフォームは毎日着るものだからこそ機能性、作業性はもちろん、飽きのこないシンプルさと かっこよさを求めてデザインも考えました。 「ユニフォームは歩く広告塔」 これを着た社員が各地でいい仕事をして、北都鉄工で働きたいという人が 1人でも増えたらいいなあと思っています。 新ユニフォームのお披露目もお楽しみに!!
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2023
野々市明倫高校×HOKUTO女性技術者
12/1(金)、石川県立野々市明倫高校の理系を選択した2年生のうち 女性生徒を中心に約30名にお越しいただき、「モノづくり企業見学会」と題し高校を卒業し 進学した後を見据えたキャリア教育の一環として工場見学と当社女性技術者との交流会を行いました。 開会にあたって当社社長が挨拶し 「職業を選ぶうえでどんな業種のどんな仕事をするのはもちろん大事であるが、 それ以上にどんな雰囲気の会社でどんな人たちと仕事をするかが大事です。 ぜひ今日の交流会を通じて将来のキャリアを考えてもらえたら幸いです」とメッセージを送りました。 交流会では座談会を実施し、当社の女性技術者が参加しました。 仕事のことやそれ以外のこともざっくばらんに話し、とても盛り上がりました。 その後工場見学も行いました。 これから先、将来を考えていく中で、少しでも今回の交流会が参考になればと思います。 1時間半と短い時間でしたが、当社としてもとても有意義な時間を過ごすことができました。 ありがとうございました。
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社長コラム
2023
社長コラム 2023年11月号「祝 阪神タイガース日本一」
11月5日は大阪のみならず全国の虎党は歓喜の美酒に浸っておりました。 道頓堀は言うまでもなく、新地もミナミも翌朝まで狂喜乱舞の一晩だったと思います。 阪神タイガースが球団初の日本一に輝いたのが38年前!! 我が社でも生まれていない社員がたくさんいるくらい昔の話になります。 そのときのクリンナップは3番 ランディ・バース(現在69歳) 4番 掛布雅之(現在68歳)5番 岡田彰布(現在65歳)・・ もちろん岡田彰布は現在の阪神タイガースの監督でありますが、 この3人のことを覚えている人はどれだけいるのでしょうか? 私はそのころ訳あって?熱烈な巨人ファンを名乗っておりました。 なぜ阪神ファンに改心したかは置いておいて・・ この年、巨人ファンにとっても記憶に残る鮮烈な試合というか場面がありました。 1985年4月17日 甲子園球場での阪神-巨人戦7回裏、世にいう「伝説の3連発」です。 3番 バース、4番 掛布、5番 岡田が、巨人の槇原からのたった6投球の間に バックスクリーン周辺へ3連発のホームランを叩き込んだのです。 あの場面は私もテレビ中継で観ていて今でも覚えています。 ちなみにこの時の巨人の4番は原辰徳前監督だったのです。 今にして思えばこの試合が、その年の阪神タイガース日本一への序奏だったのかもしれません。 そして38年経って岡田彰布監督が再び 日本一を達成する時に巨人の監督が原辰徳だった。 やはり、何か因縁めいたものを感じるのは私だけでしょうか? 今年の日本シリーズは関西ダービーだったこともあり、 全国的にはイマイチ盛り上がりに欠けていましたが、 NPBの興行的には最終の7戦目までいって万々歳で、 それぞれのコアなファンにとっても最高の展開だったと思います。 1試合での収入が5億とも6億とも言われているので、 4試合で決まるのと7試合までやるのとでは関西圏での経済効果もまったく違うのです。 今年の日本一への分かれ目はやはり、第7戦の4回表 大山を追い込んで宮城投手が投げた内角のデッドボールだったと思います。 そのあとにノイジーがホームランを打って、緊迫した試合の流れがイッキに阪神に傾いたのです。 阪神ファンはみんな同じことを思っていますが、 今年の岡田監督の采配は普通のことを普通にこつこつやる!奇策無し! 当たり前のことを積み重ねて日本一になった。 勝負の世界は結果がすべてなのですが、我々企業人も この岡田采配に見習うところがたくさんあるような気がします。 今から来年の阪神タイガースの戦いが楽しみです。 11月7日に森喜朗先生が久々に故郷、能美市の根上町に登場され 能美市の中学3年生500人の前で熱弁をふるわれました。 森喜朗先生は86歳、中学3年生は15歳・・ 70歳の世代間ギャップのある中、冒頭、能美の歴史やご自分の生い立ち、 戦争でご家族を含めて大変ご苦労されたことを話されていました。 私は今回も森喜朗先生に同行して、舞台袖で会場の様子を見ていましたが 正直、生徒たちはピンときていない様子でした。 確かにこの平和な時代に生まれ育った子供たちに 昔の戦争や争いの話をして理解しろと言うのは無理なのかもしれません。 しかし今、自分たちが平和に暮せているのは 先人達が命を張ってこの日本を守ってくれたからである! ということをほんのちょっとでも心に留めて、感謝の気持ちを持って これからの人生を歩んでほしいと思うのです。 今回この企画を考えた私と同年代の能美市の井出敏朗市長も そのことを中学3年生に伝えたかったのではないかと勝手に思っています。 後半の部は今度は攻守交代?生徒代表からの森喜朗先生への質問コーナー・・ 「今の減税と増税の政策をどう思うか?」「北陸新幹線の敦賀開業効果は?」 「ロシアとウクライナの紛争などの国際問題をどう思うか?」・・等々、 まあ中学3年生がそこまで言うのかというくらいの質問を飛ばし、 それを森喜朗先生なりに丁寧に回答されていました。 私が横で聴いている限り森喜朗先生はどちらかというと防戦気味? これはこれで見ていてなかなか面白かったです。 全部、終わって生徒代表から花束をいただき、 全員に見送られて満面の笑顔で会場をあとにする姿がとっても印象的でした。 ご存じのように森喜朗先生は9月に転んで足の骨を剥離骨折され 現在、車椅子状態です。 ご年齢を考えても車椅子で東京から移動するだけでも大変なのに、 中学生の前で延々2時間熱弁をふるわれ、横で見ていてもホントに凄いと思いました。 私は小松空港までお見送りに行ったのですが、全く疲れた様子も見せず、 最後は笑顔で車椅子から手を振って飛行機に乗って行かれました。 東京から同行された秘書の方を含め、まわりは大変だったと思いますが、 森喜朗先生のまったく衰えていないあの気力とパワーには脱帽であります。 次回はしっかりリハビリをして必ず歩いて来県されると確信しております。 11月10日(金)大安の朝に新社屋の棟上げをしました。 施工チームの皆さんのおかげで基礎工事も予定通り終わり、 いよいよ鉄骨を組み始め少しずつ新社屋の全容が見えてきました。 正直、基礎工事の時には新社屋は案外小さいのかなぁと思って見ていましたが 鉄骨を組み始めると「でか!」って感じです。これから工程が進むのが楽しみです。 今年もラスト1か月になりました。 来年2月にはわが社は創業90周年を迎え、 例年以上にばたばたの師走になると思いますが元気に乗り切ろうと思います。 今月も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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2023
当社施工の「熊坂高架橋」が優良建設工事として知事表彰をいただきました!
昨年度当社で施工した「熊坂高架橋」が石川県知事より優良建設工事として表彰をいただきました。 毎年恒例の表彰式後の知事との記念写真は 馳知事と当社社長が同い年ということ、また旧知の仲ということもあり 年々写真での知事との距離感が近づいているような気がします。(笑) またこれで知事表彰も ・鼠多門橋 ・上中山橋 に続く3年連続の受賞となりました!! これからもしっかりとした施工を続けていきたいと思います。
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